2011年03月11日

モンスター

なんか「モンスターでいる権利」みたいなものが問題になっている気がするな。

二重社会は批判したいが、それが一元化されるときに放り出されるのは困るというか困る。
posted by 甲虫1 at 2011年03月11日 06:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月10日

パターナリスト


これちょっと面白いというか不思議なのは、tikani_nemuru_M(地下猫)氏って、たしか、≪自分はパターナリズムを否定しない≫みたいなことをおっしゃっていたことがあるから。

これじゃまるで逆だろう。

パターナリズム批判に対する批判といえば、やはりホームレスと売春の安易な肯定の批判だろう。
これらを抜きにしてあえて≪パターナリズムを否定しない≫というのは、都合のいい男性中心主義と見た目には違いがなくなってしまうと思うのだが……。
posted by 甲虫1 at 2011年03月10日 23:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月08日

「もめごと」を「理論的」に言い換えてみる

僕は書いた。;
あからさまに言おう。マイノリティに対してあなたは悪くないのだと言うことと、戦前戦中の日本に対してそう言うこととを「同じ」と見てしまう人がいるのだ。そして、ある意味僕もその区別ができない人間の一人だ。前者は実際に悪くないのだが後者はそうでない、と断言できない。[中略]「客観的」な判断を拒否する権利こそが与えられるべきものだ、というのがそのような主張の核にあるものなのだから。

甲虫ブログ: 逆鱗とかその他


この件がまた浮上してきてるな……。

時間がないのでとりあえずメモ。
posted by 甲虫1 at 2011年03月08日 06:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月02日

朝っぱらから愚痴

あのさ、

1.他者を道徳的脅迫でコントロールしようとする「活動家」



2.道徳に背を向けても生きざるを得ない「生活者」

の二つだけを比べるのって、どんな意味があるんだ?

この二つを裏返すと、

3.道徳なんて無関係に他者をコントロールできる「支配層」



4.生存に反しても道徳的であろうとした「死者」


が存在するはずではないか。

いい大人が何を言ってるんだ、って言いたくなってくるよ。
posted by 甲虫1 at 2011年03月02日 06:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月27日

われら多数派

さて、なぜ「植民地支配は価値観としては中立」という発言が僕にとって重要なのか、ということなのだが。

「日本人は(日本国内で)差別されている」というネット右翼の奇妙な主張があるわけだが、それは公民権の価値の低下(という意識)が背景にあるのではないか、みたいなことを前にちょっと書いた(「「市民」の話」)。

ところで、左翼というのは選挙では負け続けである。しかもというかなんというか、いわゆる先端的な文化人というのは新左翼を経由してたりするので、彼らは議会政治では最弱政党である共産党などよりさらにマイナーな存在である。
だから、そういう文化人やそのシンパが、自分は公民権のお世話になったことはないなどと考えても、そんなにおかしくはない。でもこれは、このようなポスト新左翼文化人とネット右翼との間に密かな連続性があるということなんじゃないだろうか?

「植民地支配は価値観としては中立」というのは、そのようなポスト新左翼サブカル文化(<だんだん長くなっていくな……)からすれば、当たり前の発想なのだと思う。しかし、日本生まれの日本人であり健常者である男性が、なお自らをマイノリティと認識するというのはどういうことなのだろうか。

今の日本は左傾化している、と言う人がいる。保守系文化人やネット右翼ではなく、良識ある人物が、である(二人ほどだけど)。僕はそれを疑問に思ってきた。逆じゃないか、と。
しかし、上の認識が事実なら、確かに日本はある意味で左傾化している。
ただ、そうすると「左傾化」のトップランナーは、たとえば在特会だったりすることになってしまうのだが。

「多数派の特権」の批判というのは、そういう中でどういう意味をもつのか、などと考えてしまうわけだが……(なんか、話が逸れたな……)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月27日 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月23日

「植民地支配は価値観としては中立」だそうです。


はてなブックマーク - 国を守るという意味 : アゴラ - ライブドアブログ」での議論のつづきらしいのだが……。

しょうじき唖然とした。

検討はのちほど(<……しなさそうだけど)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月23日 06:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月20日

左翼と自由との、いささかめんどうな関係について



「左翼」という言葉は個人主義と集団主義という対極的な思想の両方と結びつけられるが、これは矛盾している、という話。

これを読んでまず最初に、これ書いたことあるわー、とか「地獄のミサワ」みたいなことを思いました。
でも考えてみれば僕は、この二つの対極にある発想が左翼思想の内部対立の中に実際に存在すると思っていたわけで、分類の不備と考えるこの記事とは違います。

次に、これは≪敵≫のモンスター化という一般論で解釈できることなのではないか、と思い直しました。
「左翼」を批判するのは主に「右翼」や「保守」であり、彼らの何よりの特徴は、自分と他者との扱いの非対称(不平等)を肯定してしまうことであるわけですし。

でも、よく考えたら、これって「自由」――共同性からの――が持つややこしさの問題だと考えたほうがよいのではないでしょうか。

たとえば、ナチスとかポルポト派とか、子供を親から引き離して≪社会的に≫育てる、ということが時に行われるわけですが、それって「個人主義」でしょうか、「集団主義」でしょうか。
それは集団主義に決まってるじゃないか、といわれるかもしれませんが、そして実際にはほとんどがそうなんでしょうが、しかし家族という集団から脱出する/できる、ということは、個人の自由というものの最大の魅力の一つであるわけで、フィクションなどでそういうものが肯定的に語られることはしばしばあることです。

逆に、いま世の中に多くある「自由主義」は、家族(および、それに類する≪自然に≫形成された集団)についてだけはなぜか肯定的であるものが多いような気がします。
そう、「個人主義」かつ「集団主義」という(hamachan氏にとっては矛盾した存在であるところの)「左翼」なるものは、そのような「自由主義」の反対物なわけです。

国家・個人・中間集団の三者の位置づけによって、≪自由≫主義は大きく二つに分けられるようです。
中間集団が国家に抵抗することによって個人を自由にするというアメリカ型と、国家が中間集団から個人を救い出すというフランス型です。
なんかわれわれは、後者のフランス型に対する警戒心――けっきょく国家の肯定になってしまっているのではないか? という――を強く身につけてしまっているようなんですが(旧枢軸国として、国家の暴走に対しての反省心があるんだろうか?)、しかし実際には、われわれが手にできた自由というのは、ある意味このフランス型に近いものでしかないような気がします(いわゆる「ヤンキー憎悪」みたいなものって、それだと思うんですよね)。
この二つが組み合わさると、かなり奇妙な主張になってしまうと思うんですが、しかしそのへんの分析って、ちゃんとなされているんでしょうか……。

――などという他力本願のつぶやきで、今回は終わります。なむあみだぶつ。
posted by 甲虫1 at 2011年02月20日 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。