2010年08月24日

中間報告

そういえば僕は、この一件の中心課題であるはずの歴史修正主義の話をしていない。
また、そもそもデフレの脱却の緊急度(優先度)のことも書いてはいない。

これは、僕の考える≪リフレ派問題≫の本質にはそれらはあまり関係がないと僕が思っているということなんだろう。
僕にとっては、僕のリフレ派に対する第一印象が≪ネット右翼みたい≫(当時は多分そんな言葉はなかったが)というものだった、ということが重要なのだ(不幸にしてそれは第一印象のみでは終わらなかったわけだが)。

政治をケガレとして追放することによって、僕らの時代――80年代以降の世界が始まるわけだが、いつまでも「お客さん」でいられるわけもない以上(それを望んでる人たちはいそうだけど)、もう一度それに触れないわけにはいかなくなる。そのときにどういうやり方がスタンダードでありうるのか、誰も知らないままだらだらと30年の時をわれわれは過ごしてしまったわけだし、それはまだ終わりになりそうにもないのだ。
posted by 甲虫1 at 2010年08月24日 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月21日

語の単純な意味におけるシバキ主義

考えてみればリフレ派が大同団結だった事なんて無かったような気がしてきた。
小野善康さえ味方につけられなかったわけだし。
で、振られたあとで、あいつは見込みがあったのに努力が足りないので外道に落ちたな、かわいそうに、みたいな捨て台詞をいうわけですよ(もちろん、努力するべきだったのは小野氏の側だったということなのである!)。こういうことは他にも何度もあったわけです。

要はこれ、政治と学問を混同しているわけですね。学者風なタテ社会の価値観――「勉強ができる」ほうが無条件に偉い。まあこれはスポーツとか芸術、あと趣味とかでもありがちですよね――を、相手の同意を取り付けねばならない政治にも適用すると。(つまり≪政治(とは意識されないが)を頑張っている者が無条件に偉い≫となる)。

要は、相手を≪他者≫だと思ってないってこと。リフレ派の奇妙な理屈(もちろん経済理論のことではない)のかなりの部分が、そこから説明できると思う。やはり≪政治≫が足りないんですよ。「リフレ派は党派じゃない」というのを、なんか良いことみたいに言ってるようじゃ駄目でしょう。

最近は変わって来ているようだと思ってたんですけど、まあたしかにここらへんはパンドラの箱ではあったってことでしょうね。
posted by 甲虫1 at 2010年08月21日 09:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月19日

ちょっとため息が……。

しかしね、わかってはいたけど、リフレ派ってのにはどうしてこう、昔たくさんいたという「勘違いしちゃった左翼青年」を彷彿とさせるようなタイプのひとたちがこんなにもいるんですか?

もちろんこんなことを言うと、今のサヨクにもダメな奴はいるじゃないか、って言われそうだし、それは正しいんだけど、僕はべつにそんな人らと「大同団結」なんかしないしな……。
posted by 甲虫1 at 2010年08月19日 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

「政治」を巡って


なんかすごいことになってますが。
個人的にはApeman氏のbewaad氏に対する評価が高いのにびっくりしたり。
(でもこの記事を読んだらそれにも納得してしまう)。

Togetter - 「リフレ推進派の金子洋一議員が、「リフレ反対派」についての印象操作的コメントをした件について」 Togetter - 「リフレ推進派の金子洋一議員が、「リフレ反対派」についての印象操作的コメントをした件について」

植民地支配も人災です - Apes! Not Monkeys! はてな別館 植民地支配も人災です - Apes! Not Monkeys! はてな別館
ブクマコメについて - Apes! Not Monkeys! はてな別館 ブクマコメについて - Apes! Not Monkeys! はてな別館

金子洋一氏に投票した件 - 児童小銃 金子洋一氏に投票した件 - 児童小銃

リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com



ところでrnaさんから前回の記事に対する応答をいただきました(しかしなんでこれだけ別記事……)。
咄嗟に補足のコメントを入れたんですが、あらためて記事本文をよく読ませていただくと、うーん、なんか話がかみ合ってないような……。

誤解されてるような気がしますが、「政治をなめるな」って僕が言うのは、べつに政治をするな(もしくはちゃんとやれ)って意味じゃないですよ。
僕がいちばん言いたかったのは、hokusyu氏の言ってることって、いわば「定石」にすぎないよね、ということです。(字面上には片鱗もありませんでしたね。すいません)。
左翼の政治運動のダメさ(ファシズムに負けたとかそういうことも含めて)を検討していけば、ああいう言いかたに当然なるんだと思うんですよ。

リフレ派とか、(僕にはその隣接分野に見える)擬似科学批判とかの人が批判対象に対してよく使うフレーズに「専門家(or学問的蓄積)に対するリスペクトが足りない」っていうのがあるじゃないですか。
じゃあ左翼の「政治」を巡るあれこれにもそのリスペクトを持ってよ、と言いたいんです。そういうときにだけ急に実感主義や情緒的な脅しを言ったり手続き無視を正当化してもらっても困る、と。

hokusyu氏は、僕にはすごくオーソドックスに見えるのに、なぜか過激な左翼ってことになってますよね。思いつきで他人を攻撃する若者よばわり。たしかによく見れば素人くさいところもありますが、しかし一方であれを「抑圧」と感じてゲリラ的抵抗を試みるいい大人がいるわけです。なんなんだそれ、といつも思っているのですが……。



リフレ派を巡る一連の話が面白いのは、なんか「攻守逆転」というか、左翼が品定めされたり裁かれたりする側から、いわば「買い手」(左翼に対する、保守とか「一般の人」とか)の側に移ってるってことです。もし仮にそれが一般的な意味で右翼や保守に属すものであったとしても(そう思っているわけではないですが)リフレ派って革命運動なのだということなのだと思います。だから先人の轍を踏まないためにも、左翼的政治の研究は必要だと思うんですが。

あと、このことは、普段は左翼に対して言われる無理難題――「もっと現実的になれ」とか「こっちの問題は無視ですか?」とか――をリフレ派が全部引き受けなきゃならん(あえて無視するとかそういう決断も含めて)ということを意味します。――でも、うーん、そう考えると「リフレ左派」って、ものすごく損なポジションですね……。



ネオリベ云々についてはまた。
ただ、昔は「リベラル」って、左翼にとって敵だったんじゃない? というのは大事だと思う。
posted by 甲虫1 at 2010年08月19日 07:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月17日

私的総括

あと、政党作れとか言われてもなー… 俺の生活なんだと思ってるんだ。そりゃテロリストにでもなるんなら、その時は死ぬって決めた時だからなんだってやるけど。
Twitter / rna
rnaさんが誠実な人だというのはみんなわかってると思うんだけど、なんというか……。

実はウチのこのブログは当初からリフレ派周辺を仮想敵にして書いてきているんだけど、最近の騒動を見ていて、僕がずっと言いたかったことをまとめられるような気がしてきたので言うと、それは、

「政治をなめるな」

の一語に尽きると思います。経済学も科学や技術なのかもしれないけど、政治もそうなんですよ。
ファシズムやスターリニズムを回避しようと、どれだけの人がさまざまな知恵や工夫を蓄積してきたか。

ところが、前にも言った反原発あたりからの社会運動って、きわめて「脱政治」的であり、さらにそれを誇るような態度をとるわけじゃないですか。リフレ派もその流れの中にある。「ネオリベ」呼ばわりされて一部のリフレ派の人は反発するようだけど、それは経済(学)的なことよりも、こういう態度のことを指していると考えるとわかりやすい。

まあこういうのは、われわれ「青いムーブメント」(外山恒一)世代の持つ悪弊なのかなあと思ったりもするわけなんですが。
rnaさんの、特にWebでの議論の作法などに対する意見には、こういう意味での「政治」に対する高い意識が感じられるだけに、その辺の総括がいっかい必要なのかもしれないな、――と思うばかりで、僕に何ができるんだろうか?
posted by 甲虫1 at 2010年08月17日 23:31 | Comment(0) | TrackBack(2) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月13日

プロテスタント型ナショナリズム

反≪政府≫ってのがポイントですかね。
こういう状況になっても≪国家≫に対する崇拝は全然弱くなってはいないようにみえるから。

政府という媒介なしに自分と国家が直接融合する、いわば≪プロテスタント・ナショナリズム≫みたいなもんが流行したってことなんでしょうかね、「この30年間」に。
posted by 甲虫1 at 2010年08月13日 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月07日

補足

あまり余裕がないのだが重要だと思うので概略だけ書いておく。

前回の記事で左翼と新左翼の混同が云々と書いた。
左翼批判というのは新左翼の特徴なのだが、「左翼批判」という行為が、世間では新左翼に対する批判を同時に意味してしまうため、自分がいわば≪隠れ新左翼≫であることを認識できないひとたちがいる、みたいな論理を僕は使ったのである。

しかしですね、あそこで問題にした「リフレ派」周辺のひとたちというのは、むしろ旧左翼的なものにシンパシーを抱いているという側面もあるのね。ただそれは、オルタナティブとして「あえて」共産党を支持するような人たちとはあまり重なり合わないので、そう見えないだけ。あえて混乱を誘うような言いかたをすると、選挙においてあえて共産党に入れるような層っていうのは、ガチな旧左翼ではないということになる(本当か?)。

で、どうなんだろうね、と思うのは、やはり日本ってナショナリズムが弱いというか、ねじれているんじゃないのかな、と思う。なんか「参加」みたいなことに関して一筋縄ではいかない。ちょっと問題は違うが、たとえば団塊の世代っていうのも謎なのであって、あれも共同体主義的なのか個人主義的なのかよくわからないひとたちなのだった(「人それぞれ」というのは無しで考えるとして)。
posted by 甲虫1 at 2010年08月07日 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月06日

私的概観

リフレ派がヤバいと僕がずっと前から思ってるのは、それが僕が考える≪ダメな市民運動≫の条件を満たしているからです。

その条件とは、それが以下のような主張(の連鎖)を持つような運動であるということ。

  • (1)現在、最優先で取り組まねばならない緊急の課題がある。

  • (2)それを解決するのには、副作用や政治的な対立に触れる問題がほとんどない効果的な方法があり、それは決断さえなされればすぐにでも実行可能である。

  • (3)その方法を実行するために、すべての人が小異を捨てて団結しなければならない。


この論理は「反原発」のときに(そのあとも)広瀬隆が使ったものと同じだと思うんです。
たとえば広瀬氏は、原発は電力不足を解決するために作られたわけではないと言います。現在の電力需要は非原子力の発電所ですべてまかなえるのだと。
これって要するに、原発に反対するのに≪体制変革≫は必要ない、ってことを言いたいんですね。サヨクとかウヨクとか関係ないって。原発はわれわれの社会から切りはなし可能な悪なのだから、と。

でもそれって、人にはそれぞれ立場がある、サヨクはサヨクの、ウヨクはウヨクの≪筋≫(良く言うと≪理想≫ですかね)を通すために、ぜったいに口にできないことがある、みたいな逃げ道をふさいじゃうってことです。正義の相対性を否定するということ。
自分たちに逆らうのはバカか悪人であり、それぞれ矯正され排除されなばならない、なぜなら自分たちがとりくんでいるのは抽象的・独善的でありうる≪正義≫などではなく、生身の人間の生き死にが掛かっている絶対的な問題なのだから、ということになるわけです。


もちろん、そのような論理に従うからといって、人にはそれぞれ良心ってものがあるわけだし、直ちにひどいことになるとは限らないのかもしれない。というか、すべての方面への十分な配慮を伴った変革なんてありえないので、何ごとかがなされるときにはそういう乱暴なやり方も必要なのかもしれない。もっと言えば、そもそも、どんな危険な思想であっても、実力が小さければ大した害にはならないのかもしれない。

だから、単純な善意や学問的な確信ですなおにリフレ派になった人はまあいいのですが、それがヤバいものであることを熟知しながら、あえて≪悪魔に魂を売った≫つもりの人が少数ながらいるのではないか、だとしたらそれってすごい怖いし厄介だ、と思います。

そして、そもそもそういうものがヤバいのだ、という認識があまり行き渡ってないっていうのにも驚きを感じます。というのは左翼批判をよくしている人がリフレ派名乗ってたりするわけですからね。要は、左翼と新左翼の区別をよくつけないまま、自分はサヨクの共同体主義が嫌いだからそういうヤバいものとは関係ないとか思っている人が多いってことでしょうか。≪群集≫とか≪世間≫って、バラバラな個人の集まりなんですけどね。




というわけで、僕自身もそろそろ年貢の納め時だと思うので(<どういう意味?)、前回書いたのと同趣旨のことをちょっと長めに書いてみた。相変わらず「実証が無い」(でもこれが「実証」されたらもっと怖いとも思うけど)し、ところどころ論旨がよれているのはわかってるけど、それは僕の能力の限界ということで。
あと、僕はそもそも「リフレ」という言葉を知ったころからずっとこういう認識だということは、念のため言っておきたい。
posted by 甲虫1 at 2010年08月06日 08:03 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年07月22日

よい転向?悪い覚悟?

あの、「何をいまさら」という感じがするのは僕だけですか。
真偽(正誤)と善悪を混同する修羅の世界を是としてそれに飛びこんだ(というか全世界を引きずり込もうとした)わけでしょ。
それを、なんでとつぜん道徳に目覚めますかみなさん。

こんかい稲葉先生は(論理的に)正しい。というか、他の人が無自覚にやってたことを稲葉氏は自覚的にやってたんじゃないですか。それってすごい怖いことだと思うけど……。


*これは議論を精査した上での結論ではなく、単なる一ネット民(こんな表現あったっけ?)としての感想に過ぎないことをお断りしておきます。

posted by 甲虫1 at 2010年07月22日 21:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年07月01日

「総括」とか

むかし岸田秀とか笠井潔とかを読んだだけなんでそういう方面からの言い方に過ぎないんだけど(そういえば大塚英志の本はBOOKOFFで買ったけど読んでないな)、連合赤軍事件を思想的に問題化するときに中心になるのは「総括」というものだろう。

客観的に今すぐは革命を起こせる状況にないときに、自分や同志が革命の主体としてふさわしい者になることを革命の等価物とみなしてしまうこと。
そしてそのように自分たちが独占した「革命」を絶対視し、それについていけない/反対する者の抹殺を、抹殺される当人にとっても《救済》だと考えてしまうこと……。

連合赤軍事件が左翼に対する幻滅をもたらしたのだという。まあ自称/他称の「左翼」が嫌悪/嘲笑されるようになったという点ではそうかもしれない。しかしこのような呪術的思考そのものは必ずしも真剣に批判されたわけではないと思う。そしてそれは冷戦体制の崩壊と共に社会の全面を覆い尽くすことになる。

インターネットはこの種の論理を増幅させる役割を果たしたもののひとつだと思う。
本田由紀ブログ閉鎖騒動で僕が気にしていたのは本田氏への攻撃がこういう「総括」的思考のもとに行われていたということだ。

こういう論理に固執している人がむしろ「左翼」に批判的である人が多いということは強調されなければならない。というか、そもそも連合赤軍に至る新左翼というものが、それまでの「社会」に期待しないというのがひとつの特徴であるような存在なのだから、それは当然のことではあるのだが。
posted by 甲虫1 at 2010年07月01日 22:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年06月30日

「筒井康隆」と「世間」

そうか。太宰治が筒井康隆に対して「それ全部あんたの中の悪意を虚構内の人物にアウトソーシングしてるだけじゃねーか」とぶち切れる展開はアリだな。

Twitter / Yuu Arimura
以下のような流れで出てきた発言。

  1. Twitter / Yuu Arimura: 朝ズバで駒野の母親をつるし上げた、ということらしいが ...
  2. Twitter / Yuu Arimura: .@kaolu4s @lastline さようか。本 ...
  3. Twitter / Yuu Arimura: .@anchiro じゃあぼくがRTした発言はまさに ...
  4. Twitter / Yuu Arimura: 筒井康隆なら「人間なんてみんな一皮剥けば、心の底では ...
  5. Twitter / Yuu Arimura: .@tanamach @takashit 先ほど該当 ...


Yuu Arimura氏は、正統派オタクにありがちなことだが、筒井康隆を高く評価している人。
そして一方で「太宰メソッド」なるものの提唱者(?)である(これがなにかは面倒なので説明しない)。

僕は筒井康隆を「オタク」と「サブカル保守」の共通のルーツとして政治的に分析すべきだと前から思っているので(自分でやればいいわけだが……)、こういう視点がありうることに、そういう人が気づいてくれただけでうれしい。
posted by 甲虫1 at 2010年06月30日 22:32 | Comment(5) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年06月14日

科学は無敵

「科学的社会主義」がダメなのは、べつにその元になっているマルクス主義が科学的に間違っているから、というような理由ではない――のだが、そこのところが怪しい人がスターリンだの文革だのを取り上げて左翼を批判したりしているのを見るとイライラするのだが、しかしよく考えるとスターリン主義も文革もポピュリズムの一種でもあるわけなのであって、そう考えるとそれはあまり矛盾ではないのだった。

というわけで、科学的社会主義は永遠に不滅なのだった。がんばってほしい(できたら僕の見えないところで)。
posted by 甲虫1 at 2010年06月14日 08:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年06月08日

非実在パターナリスト

このあいだ自分で書いたこと

「「人前でしない」ということは、それが消滅することを意味しない。それどころか、再検証の機会が失われてどんどん強化されていく可能性もある」。

これは「愚痴は言ったほうがいい」という世間知と同じことだ。
自分の中で溜め込まず人に話したりすると、実は自分がそれほど「本気」でなかったことがわかることがある。
なので、書く。

下の3つは同じページ(ブクマがバラけているので全部載せた)。この3つは、最初のまとめをご本人が補完したもの。つまり、全部内容は同じ。

で、これを読んで、こういう感想を書く人がいるんだな。
(ご自身によるまとめ「Togetter - まとめ「パターナリズムはなぜ批判されるべきなのか」 Togetter - まとめ「パターナリズムはなぜ批判されるべきなのか」」より。)
ひらたくいうと、sociologbook氏は、エロゲの女性クリエイターや女性エロマンガ家から、本人が望んでやっていることではないから、と職を奪う話をしてるのね。本人の選択とは関係なしに。ガチの、逃げ隠れのない、あまりにもチンコ丸出しの父権温情主義者。
Twitter / Naoki Takahashi
元の文章のどこに「エロゲの女性クリエイターや女性エロマンガ家」に対する言及が存在するのかさっぱりわからない。
そのうえそれが「本人が望んでやっていることではないから、と職を奪う話」と断言する。
たしかに「エロゲ」や「エロマンガ」が「規制」されたら「女性クリエイター」たちも「職を奪」われるかもしれないけど、それは男女関係ないことだろう。

でも、こんな奇妙な話に賛同する人がけっこういるんだよね。たしなめている人がいるのは救いだけど……。

僕も何度か、言及相手や第三者から「そんなことは言っていない」と言われた。でもそれは僕としては、議論の枠組みとしてAを採らないならBが浮上してくるけどいいの?(それとも「第三の道」があるの?)、みたいなことのつもりだった。

この件だって、ポルノが女性差別や女性からの搾取であるのならポルノを楽しむ女性の存在はどう考えたらいいのか? という問題に関わってくるのはわかる。
でも、本気でそのことを理解したいと思う人が「チンコ丸出しの父権温情主義者」とかいう言葉を口にする理由があるだろうか。
posted by 甲虫1 at 2010年06月08日 08:01 | Comment(4) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年06月05日

消すとか消さないとか(追記あり)

【末尾に追記】

ブログやホームページの更新をやめることはあると思うんだけど、そのときに全部消すだとか非公開にするとかするのはどうかと思う。

でもそういうのってけっこう多いんだよね。なんで? と思うけど。

結局そういう人にとってWeb で発言することは≪自分の≫活動なんだよね。
きっと彼らはルールやタテマエなんかより≪事実≫(結果)の世界で生きてる人たちなんだろう。

一度でも他人の目に触れたらそれはすでに≪公≫のものであって自分だけのものではない、っていうような僕の感覚は、そこからするときっと「甘い」って思われるんだろうと思う。

僕はわりと些細なことでも変更や削除すべきではないと考えていて、それで苦しむことが多いんだけど……。

いや、あの、田原総一朗さんっていらっしゃるじゃないですか。その人について何回か書いたことがあるんだけど、毎回僕はどうも田原総一って書いてるみたいなんですよね。

そういうことには気をつけているつもりなんだけど(わざわざ検索したりする)、どういうわけだかこの方のお名前だけはなんども間違っているんですね。ずいぶん前の記事だし、タイトルにまでなってるものを直すのはどうかと思って、ちょっと悩んでます(微妙に話がズレている……)。

【追記 6月6日20:00ごろ】
rnaさんからブコメをもらう
「僕は明らかな誤字脱字は黙って修正する主義」だそう。
やっぱそのほうがいいか……。これから読む人もいるわけだし……。
あと、「児童小銃」の過去記事が紹介されてる。まあ要は、ログ(――だけじゃないよね、ほんとうは)は目的か手段かということで、それを「手段」としか考えない人は嫌いだ、と僕はずっとここで言っているつもりです。
posted by 甲虫1 at 2010年06月05日 22:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月23日

隠すこと、存在すること


こういうことがあると、「作品」は「作品」であるがゆえに道義的非難を免れるという意見が執拗に出てくるのだが、どうも気になるのは、それはわれわれが日常生活で政治的見解を述べることがヤバいこととされている(でもなぜか「政局」の話はしていいんだよね。ちょっと不思議)という現実と関連があるのではないかということ。

人前でアニメやコミック、ゲームの話をするのが「イタい」行為であるとされるのと(最近はそうでもない?)、人と政治の議論をするのはダメだというのとは並行しているんじゃないだろうか。

あたりまえだが、「人前でしない」ということは、それが消滅することを意味しない。それどころか、再検証の機会が失われてどんどん強化されていく可能性もあるわけだが……。
posted by 甲虫1 at 2010年05月23日 23:23 | Comment(11) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月22日

ぼくらの世界

ピューリタン的な道徳によって人が性的に見られることから開放されることと、くだらないとされるコンテンツが表現の自由によって存在を許されること。
これらは現実的には対立するとしても、成り立ちとしては「おなじようなこと」ではないのか。
そこには以下のような緊張が欠けているのだ。
「城壁の内部においては、人々は共同の敵に対して団結し、共同の力をもっておのれが生命を護った。(…)そこでは共同が生活の基調としてそのあらゆる生活の仕方を規定した。個人を埋没しようとするこの共同が強く個人性を覚醒させ、個人の権利はその義務の半面として同じく意識の前面に立つに至った。(…)」
和辻哲郎『風土』。「柄谷行人講演「力の構造」2 - ブログのきおくそうしつ Amnesia on the Blog」より曾孫引き。
風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/01
  • メディア: 文庫



posted by 甲虫1 at 2010年05月22日 08:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月20日

タイトルなし

なぜこの記事が批判されたり不思議がられたりするのかわからない。
(もちろん、こんなことをタブーをおかすかのようにいう筆者の方の感覚もわからないけど)。

「リフレは経済学の常識」っていうのは事実なのか願望なのか。

その願望を共有することが勇気だとされてるって、ちょっとアレじゃないのか。

ほんとうに大事なことだと思うなら、「常識」であるかないかはどうでもいいんじゃないのか。

デフレも放置してはまずいのかもしれないが、こういう人たちのこういう態度がデフレによって正当化されることそれ自体が危険だと思うのだが。
posted by 甲虫1 at 2010年05月20日 08:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月09日

リフレ派ってこういうもんなの?

これ、最低だと思うんだけど……。

まあマルクスあたりならこういう風に考えていたんだろうな、というのはわかる。

でも、現代日本人がこれに乗るのはどうか。


あと、これは、どちらかといえば性善説なんであって、性悪説じゃないでしょう。
「性善説」っていうのは人の「善意」を信頼するってことじゃなくて、人間は「もともと」(=性)よい性質を持ってるという考え方。だから性善論者は、そのよい性質を歪める「悪いやつ」をつねに発見してしまう。要人暗殺を企むテロリスト(もちろん空爆という手段を使っても同じ)は性善論者なんですよね(でも孟子がそういうことを考えていたかどうかはわからないけど……)。この「性」に、人間だけじゃなくて世界そのものの性質という意味を含めると現代的な性善説が出来上がるんだと思います。

そして、僕はこの種の性善説が大嫌いです。


歴史上の叛乱のほとんどは、既得権を持っていると勘違いした多数派が暴れまわったというだけのことであって、真の弱者はその犠牲になっただけなんでしょうね。
でも、僕はその叛乱の側に立つしかないと思う。そこで問われる「権利」というもの抜きにして結果オーライでは意味がないと思うから。
なんかいろんな人に怒られそうですけど、「真の弱者を思いやるエリート」みたいなものに仕切られるよりいくらかはマシなんじゃないかと思うんですけど……。
posted by 甲虫1 at 2010年05月09日 16:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月06日

ニュースだと思ったらブログ記事だった

あのー、livedoorのトップページなんですけど、いわゆる普通のニュースなんかと混じって、一般のブログの記事を転載したりしてるんですね……。
なんか、すごい危うい感じがするんですけど……。

石原慎太郎を始め、いろんな政治家などがネットのデマを信じてることがバレたりしてますけど、そりゃこんなことやってればそういう人はどんどん増えていくよなあ……。大丈夫か日本……。

【追記】 5月7日午前

記事を提供しているブログの一覧があった。なんかおなじみのブログがたくさんありますね……。
あと政治家のブログも、各党ひととおりそろってるのかな?
一応バランスは考えてあるみたいだけど……。

うーん、社説やコラムと同じだと考えればいいのかなー。
それとお金は出ているんだろうかというのも気になるし。
posted by 甲虫1 at 2010年05月06日 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月05日

日本の楽しくない職場

うーん、これどうなの?

ヒマなときにゲームとか卓球してるとかいっけん楽しそうだけど、それって同僚と仲良くするっていうまた別のスキルを要求されるってことでもあるわけじゃない?
日本以外でいじめの多いのは英米と北欧で、それらの国では(日本と同様に)学校は集団生活を学ぶ場所だという考えが支配的である、という話を聞いたことがあるけど、「職場は楽しくあらねばならない」というのには、どうもそれを思い起こさせられる。

上司の指示が不合理だったら意見を言うっていうのも、逆に言えばそれなりの責任を引き受けるってことだよね。
もちろん、日本では上司のダメな指示に従ったことによる悪い結果を部下が引き受けさせられるのが普通だ、というのだったらそれには断固抵抗すべきだけど、そういう現実があるんだろうか?



何が言いたいのかといえば、この記事で語られていることが示しているのは、会社で働いてる人間はみんな「仲間」だってアメリカ人が思っているということなんじゃないかと。

そう思われがちなのとは逆に、日本社会というのは共同体が強くはないのだということは、昔から人類学者なんかは指摘してきたみたいなんだけど、たとえば上司と部下や同僚が互いに敵同士だという前提に立てば日本的な職場環境って「正しい」んじゃないの?

日本ってさ、表面的には保守的なんだけど、その裏にある論理はすごいラジカルというかニヒルなものがあるわけじゃない? 決してそれがよいことだとは思わないけど、ただそうなっているのには理由があるし、改善しようと思えばそれを土台にするしかない。なにより(情けないことだけど)、僕の人格はそのなかで育ってしまっているのだし。
posted by 甲虫1 at 2010年05月05日 21:52 | Comment(6) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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