2011年02月03日

はじめにことばがあった

上野千鶴子が「「ネオ・リベ」なんかと死んでも一緒にされたくない」と言ったことがあるようなのだが……。


この発言が上野氏が「ネオリベ」でないことを証明するものだと考える人がいるとしたら(もしいるとしたらだが)、その人の言語観を疑ったほうがいいと思う。

そういえば、みずからそう名乗るものが誰もいないというだけの理由で「封建主義者」を自称した評論家もいた。そういう言葉との(ある意味で)幸福な関係を結びうるというのが、しつこいようだが団塊世代の面白いところである。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

エジプトとかデモとか

いろいろモヤモヤすることがあるのだが、時間と能力がないので抽象的にしか書けない。



≪自由≫と≪人命尊重≫は、(自由主義と民主主義がそうであるように)相互に独立の概念であり、時に対立する。
この両者が協働する方向にもって行かなければならない、というのがわれわれの社会の理念である≪人権≫の意味だと思う。

いや、悪意からではないと思うんだけど、大規模デモという雰囲気に反発するあまり、両者を最悪の組み合わせで解釈している人が目立つような気がするので。
なんで今さら≪良い「独裁」もあるよ≫みたいなこと言われにゃならんのか?
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 06:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月01日

革命アレルギー

おそらくエジプト情勢について。
大衆は民主主義であろうが独裁であろうが経済が順調で生活に困らなければ何でもいいというのが実情だろうな。独裁=悪と単純に等式を立てるのはインテリ層だけ。というか、つるし上げ民主主義なんて独裁とどっこいじゃないか。
Twitter / すなふきん:(sunafukin99)



これに対する応答。
@sunafukin99 つるし上げ民主主義のほうが「流動性」があるだけまだマシでは。独裁だといちいち100万人集まったり何百人も殺されなきゃ変われないんだから。
Twitter / ナょωレよ″丶)ょぅすレナ(rna)


ちょっと感動した。
けど、よく考えたら日本はどっちなんだ、と考えて微妙な気分になる。

たしかに「何百人も殺され」たりはしていないし、それなりの「流動性」もないわけじゃない。でもなんかそれって、「100万人集ま」ること自体を阻止する仕組みだけが発達しているというのに過ぎないんじゃないかとも思う。

「開発独裁」って言葉があり、日本の体制もそれに準じるものでしかないのではないか、みたいなことが言われたりして、僕もそれにけっこう説得力を感じたりする。

革命が必要な社会は不幸かもしれないけど、その逆、革命が起こらないから幸福だ、というのは言えないと思うのだが、しかしなんか、今回≪革命アレルギー≫みたいな傾向が感じられる言説がちらほら見受けられる。これがいわゆる反動的な論者に限らない、ということが、なんだか僕は面白くない。
posted by 甲虫1 at 2011年02月01日 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年01月18日

「女子供」と「オタク」

tikani_nemuru_M 表現規制 この発言そんなにダメか? 「女子供」が双方に都合よく客体化されてきたことは事実だし、客体化された「女子供」こそが急所を握っているというのもおかしくないと思うのだが。批判者は事実と価値を混同してない? 2011/01/18
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Twitter / kamayan1192: 「表現規制」関連の政治的綱引きって、「女子供」という ... Twitter / kamayan1192: 「表現規制」関連の政治的綱引きって、「女子供」という ...を巡って。

この件では「はてサ」の中でも意見が割れているようだが……。

ただ、みんな忘れてるんじゃないかと思うのは、(「批判者」である)hokusyu氏は「オタク」である、ということ。
俺たちは俺たちの名で戦おうぜ、ということなんじゃないのかな?
posted by 甲虫1 at 2011年01月18日 22:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

遊びでズレてるわけじゃない

その気持ちは分からないでもないのだけど、あなたのコメントはいつも、なんというか、ズレてるなぁ…。 @toled
Twitter / 金明秀 Myungsoo KIM(han_org)
まえまえから思っているのだが、WEB世間の人たちは、常野氏が「(元)登校拒否」であることをどう思っているのだろうか。

ひじょうにもやもやする。
なんというか、登校拒否なめんな、と言いたい。
posted by 甲虫1 at 2011年01月18日 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年01月17日

王を嘲う子供

永井均『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』への≪疑念≫。
道徳的であるべき理由などない、のであれば、欲望に従うべき理由もないのである。だから、「いかに生きるべきか」ということが哲学の問題になる。
アインジヒトへの挑戦 - MOJIMOJI's BLOG アインジヒトへの挑戦 - MOJIMOJI's BLOG

永井均は前から気になってる。

外山恒一が「世の中をここまで悪くしたのは全共闘世代ではなく新人類世代だ」(Twitter / 外山恒一(toyamakoichi)9:57 AM Jan 5th )と言っている。「世代」というものは社会の変化の産物に過ぎず、それが主体的に世の中を良くしたり悪くしたりするわけではないだろう、という問題点はあるものの、大まかに言えば妥当な見方だと思う。

つまり問題は70〜80年代に確立した≪倫理的な倫理批判≫とでも言うべきものだ。
いわば≪出家≫的態度。社会の≪外≫に出ることを、あまりに安易に美化する態度。

そして最近僕がわかってきたのは、一見社会的に思える≪利益集団≫を重視する立場が、これらとそう変わらない思想に根ざしているかもしれない、ということだ。
posted by 甲虫1 at 2011年01月17日 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年01月10日

小説の「価値」について

『KAGEROU』はちゃんと売れてるのだろうか?

コメントやブコメの多くが誤解しているが、ここで中森明夫は、この本の内容を著者である水嶋ヒロ(齋藤智裕)の境遇と重ね合わせることによってのみ感動してるわけではない。

中森氏の言っていることを僕なりに言い換えれば、この作品は≪おとな≫が書いた小説であり、だからこそ感動的なのだということなのである。

タレント出身の著者の稚拙な小説が高く評価されることに小説家やその志望者が怒る、というのは理解できるのだが、しかし、その怒りは誰に向けられるべきものだろうか。
小説の技巧に習熟することは、良い小説を書くための手段であって、それ自身は目的ではない。でも、それは、何者でもない若者を≪小説≫という共同体に帰属する権利があると錯覚させる。もちろん、日本の文化環境がそういうディシプリンに冷淡すぎるという現実はあるので、その感覚が常に有害であるとは言わない。しかし、それは小説作品が感動的であるか否かとは関係がないし、もっと言えば傑作であるか否かとさえ関係がないはずなのだ。




――なぜこんなことを書くのかといえば、僕は今日、ブックオフに行ったからである。
僕は古本屋に行くと、本の≪価値≫を適切に判断しなければならない、という観念に囚われてしまう。
(そうすると、自分が欲しい/読みたい本より、≪掘り出し物≫――今では手に入りにくいとか、需要があったり名著であったりするわりに安価だとか――を探そうとしてしまう。そういう基準だと自分がその価値を知っている既読書ばかりを選んでしまうことになる。つまり、なかなか買えない……)。
読んだことのない本、とりわけ小説の≪価値≫とは何か、と考えていたら『KAGEROU』のことを思い出したのである。

ちなみにブックオフは、普通の古書店とは値付けの感覚がちょっと違うように思う。かなりあからさまに本の状態より人気(需要)で値付けしているように感じる。もっとも僕が古本屋によく行っていたのはインターネット以前なので、今ではいろいろ違っているかもしれない。


KAGEROU
KAGEROU
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齋藤 智裕
ポプラ社 (2010-12-15)
売り上げランキング: 30
posted by 甲虫1 at 2011年01月10日 19:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年01月09日

「性表現規制」と「いじめ」

Togetter - 「furukatsu氏が表現規制に対する報復として性暴力を用いることを示唆」 Togetter - 「furukatsu氏が表現規制に対する報復として性暴力を用いることを示唆」」を巡って。

これってどうなんだろう。規制反対派から「規制派」よばわりされる反規制派批判者の考えてることを端的に書くとこうなるって感じかな? 少なくとも僕も問題をこういう風に理解している。

もちろん現実には、明文化されないためにどんどん過剰になるであろう業界の自主規制や、そういう体質を利用/助長することによって負託された以上の権力を振るう警察/行政のありかた、といった問題があるし、そもそも男性中心主義による純潔思想に基づいている規制を肯定できるわけがない、というのは前提。

ところで、僕がこの記事を読んで連想したのはいじめのこと。
いじめも、ここで語られる「少女を性的な対象として扱う」ことと同じで、それが(「殺人」がそうであるようには)「社会的に容認されない行為」であることが自明だということに必ずしもなっていないという現実がある。
ではそれに対処するのに何を持ってくるのか。それは「法」なのか、それとも他の何かなのか、そしてどちらがより「まし」なのか。
posted by 甲虫1 at 2011年01月09日 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年01月03日

「私」のゆくえ(70's〜0's)

文脈として、「バブル崩壊」と絡めて考えるのか、「冷戦崩壊」と絡めて考えるのか、ストーリーとしてどちらが面白いか考えているところです。 @han_org それが文脈や時代によって、「私らしさ」という一貫したキャラクターを持たなければならないという同調圧力に転じるということか。
Twitter / はいおくたん:(highok)

「一昔前(高度経済成長以後バブルあたりまで)は「私らしさ」のような表現が主流だったのが、0年代は「同一性」を強調する物言いが増加している印象がある。[以下略=引用者]」(Twitter / はいおくたん)という話なのだが……。

70年代から現在までを、同じひとつの原理が世界全体を覆っていく一つながりの過程だと考えることができると思う。初期には人間を解放する革命であった原理がそのまま抑圧に転化するだなんてことはまったくよくありがちなことで、どっかに転換点を想定しなければならないということではないのでは。
「バブル崩壊」や「冷戦崩壊」は、その原理への敵対者が消滅していくイベントみたいなもんのひとつに過ぎないんじゃなかろうか。

posted by 甲虫1 at 2011年01月03日 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月21日

自己決定と福祉国家

いまようやく理解したが、「就職先がなければ起業すればいい」という言説に憤る人が、13歳で性的主体になれることはすばらしいじゃないかなどと言ったら、そりゃ怒られるわ。
どっちも強者(というか、たまたま恵まれているかラッキーな者)のみが幸せになれる道なんだから。

というわけで、これは≪矛盾≫や≪一貫性のなさ≫であると考えられるが、ここに≪隠れた一貫性≫を読み取る人がいるかもしれない。福祉国家は「国民」のみに特権を与える差別的な体制だとか言う人とかはそう言いそうな気がする。
一理はあるとは思うが、しかし彼らは今の状況に責任を感じていないのかね。自分はアウトサイダーだと信じ込んでいれば、そういう責任は回避できるのか……。
posted by 甲虫1 at 2010年12月21日 06:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月20日

その後、長髪がはやらなくなる?

就職が決まると髪を切らなきゃいけない時代は、就職が決まるまでは髪が長くてもいい時代だった、ということか……。

これはどの時期から変わってくるのだろう?

【追記】(12/20 22:10ごろ)

このタイトル、ちょっと違うな……。
バブルが崩壊するまでは新卒は売り手市場なんじゃなかったか。
でも「リクルートスーツ」って言葉はリクルート事件の前にできた言葉のはずだし、それはバブルより前のことではなかったか?
あれ?
posted by 甲虫1 at 2010年12月20日 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月18日

「日本人の罪」と「反省」を巡って

これのことなのだが、ざっと読んだだけでもう読み返す気力はないのだが、僕がこれを読んで最初にひっかかったのは、左翼は反省すべき云々と書いてあるところで、それはなぜなのかといえば、前にも書いたが、80年前後の若者の感じていたらしい、お前は犯罪者だ、と言われているかのようなプレッシャーというのは、確かに一方で左翼的な帝国主議論みたいな、現代日本人は過去のアジアや現在の第三世界に対する≪罪≫を背負っているのだ、という言説に由来するものとしてイメージされるのだが実際にはそれだけではなく、それと二重写しにされた、特にサブカルチャーに関心がある若者であれば当然感じていたはずであるところの、お前たちをわれわれの社会の正式なメンバーとは認めない、という大人たちの態度――社会に対する反抗という意識を持たなかった初期全共闘が官憲に弾圧されたということによって顕在化された――でもあるはずなのであって、これもなんども言っていることだが、オタクを生んだ80年前後というのは、それら若者の背負い込まされた≪罪≫の再審を要求することなく、消費という逃げみちを与えられることによってその顕在化を回避していくという方向性が確立された時代なのであって、そしてまあ普通の観察力のあるものにとって、リフレ派やら表現規制反対などに(もちろんそれ自体の妥当性は別に判断されなければならないとはいえ)入れ込む人たちが抱える強迫観念は、まさにこの逃げ道をふさがれることに対する恐怖であるというのはあまりにも見やすいことなのだから、その「最左翼」の筆者であっても、この本来おかしなことであるはずの二重写しの罠を脱出することに大して熱心でないということをこんな風に明らかにしたからといってけっして驚くべきことではないのではあるが……。


リフレ派にはしかし、評価すべき点がある。それはそこにある≪反省≫というものに対する批判である。
財政状況が厳しいのは、単に現在不況であるからに過ぎない。それは何かへの≪罰≫ではない。そのような状況に適応しようとすればするほど事態は悪化するだろう――という。
これは極めて大事な認識であって、たとえばいわゆる転向は、そのようなどうしようもない状況でも≪前≫へ進もうとする悪あがきから発成するのだ。努力をしさえすれば良いってもんじゃないのである。
しかしこの文章は、≪左翼≫には反省を求めているわけで、まあそういう意味で、リフレ派の最良の点も生かされていない――というか、こういう意味でリフレ派的なリフレ派ってあまり見ないような気がしないでもない(単にあまり知らない/憶えていないだけなのだが)。
posted by 甲虫1 at 2010年12月18日 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月13日

誰が冒険主義者か


あの、左翼(人権派?)と表現規制反対を両立させるほぼ唯一のやり方を、この「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク:声明」はふまえていると思うんだが、これが気に入らないってのはどういうこと?

こんな≪定石≫を捨ててどんなアクロバットがしたいのか。
あ、そうか、例の「大同団結」ってやつか。
posted by 甲虫1 at 2010年12月13日 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

リベラルと「心理」

「心の底の本音の私的な思い」を放任することにおいて、下品な(ネオ)リベラリストと上品な(オールド)リベラリストは結託している。両者ともに、公的発言として出す際に飲み屋駄話や便所落書きや寝物語に篩をかけるフィルターをめぐってゲームを演じている。
Twitter / 小泉義之: 2:16 PM Dec 8th

おそらく世代的に、こういった「リベラル」な考え方を≪よりまし≫なものとして肯定的に考えるクセが、僕にはついてしまっている。

「リベラル」がしばしば≪心理的≫なものだというのは今まで気づかなかったが言われてみればそうなので、要は経験主義というか保守主義というか、既に存在してしまっているものに対して甘い考え方である場合が多い思想だとは言えると思う。自由というからにはその主体が存在しなければ意味がわからない。表現の自由だってある意味既得権の保護とも言えるわけで。

ところで「理想」というものはこの世のどの部分に属するのか、というような問いがあって、それは人間の頭の中だ、と答えてしまう人の代表が、ある種の「リベラル」ではなかろうかと思ったりする。
理想を現実と結びつける特権的な役割を果たすとされるものが「国家」であったりするので、そういうかわしかたは必要であったりはするのかなとは思うが。

――。えーっと何の話だったっけ?
posted by 甲虫1 at 2010年12月13日 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月06日

「表現の自由」の絶対性

なにしろ「自分の好きなエロマンガが有害であるはずがない」という主張で世の中を説得できるわけはない。それだけは確かだ。「エロマンガだろうが食人マンガだろうが大量虐殺マンガだろうが,表現の規制を権力が行うべきでない」という議論しか私は支持しない。
Twitter / 渡邊芳之

あわわ。僕は前にこれと正反対の表現(規制反対派は「自分の好きなエロマンガが有害であるはずがない」自分の好きなエロマンガはすばらしい*となぜ言わないんだ? 言えよ!――というような)を書いた覚えがあるんだけど……。

でも、一部の規制反対派の男性オタクが、BL作品に対しては「自粛しろ」とか「規制されて当然」的なことを平気で言っている、というような現実がある以上、こういう言い方のほうが適切なのかもしれない。
(もちろん文脈が違うので、僕が前に書いたことも間違いではない――と思う)。

しかしynabe39氏のツイートは、いつもある種の輝きを放っている。
それはたぶん、僕の観測範囲での泥沼のような論争をynabe39氏は知らないので、その論争の結果作られてしまった党派性のようなもの抜きで、そこで争われていた問題を論じることができているからだろう。
そういうことが起こる程度には、日本語のインターネットは広い、ということか。

*注【12/7 00:15ごろ】

 そうか、ここで問題になっているのは有害/無害ということだった……。
僕が前に書いたのは価値があるかないか、という問題についてなので、やはりちょっと違ってるな……。
posted by 甲虫1 at 2010年12月06日 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月01日

「太宰メソッド」の定義と両面性

てっきり太宰メソッドの定義は、
大きな主語に託すことで、自分の責任は回避しつつ、発言に権威や説得力をもたせようとする ・・・(ここまで以後便宜的に定義Aとする)
人間に対し、発言の主体のエゴを指摘する ・・・(ここまで以後便宜的に定義Bとする)
だと思っていたら、前半の定義Aの部分だけらしい。
ブコメでも指摘まで含めての意味だと思っている人がいるようだ。
太宰メソッドの定義が気持ち悪い 太宰メソッドの定義が気持ち悪い

おー、おんなじようなことを思ってたよ!

でも、このBのほうも、現実には逆用されうる――というか実際にされる。

≪みんな≫を楯に取って目立つ個人を抑圧することを批判するのは、個人の自由を守るリベラルな態度に見える。

でも、それは≪みんな≫のための努力や、≪みんな≫の責任において少数者を守れ、という主張をする者を批判するものとして極めて関単に転用することが可能なのだ。
たとえば「そんなにホームレスがかわいそうなら、まずあなた自身の家に彼らを受け入れたらどうか?」というような紋切型は、まさにBの意味での「太宰メソッド」と同形ではないか?

いわゆるネオリベに「リベラル」の名がついているのは伊達じゃないのである。
posted by 甲虫1 at 2010年12月01日 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年11月27日

梯子の投げ捨てかた

やっぱこれいいなあ。>『ただし問題は、単なる反ユートピア、あるいは単なる反物語はそうした「外部」、過剰としての現実に人を向き合わせるよりは、そこから目を背けさせる方に機能してしまうということである』
5:02 PM Nov 26th :Twitter / flurry

うむ、やっぱりいいんですか。

『』内の引用は「ナウシカあるいは旅するユートピア ナウシカあるいは旅するユートピア」(稲葉振一郎のホームページ)からのものらしい。

「単なる反ユートピア」・「単なる反物語」の反動性(「居直り的な自己肯定、現状肯定を結論することの勧めとして読まれてしまう」)を避けようとするという点あたりまでは、稲葉氏らとflurry氏らは一致するわけなのだろう。どこかで両者の道が分かたれるのか……。

というか、「反ユートピア」を批判するということはユートピア言説のベタさに耐えるということなのだろうが、その≪耐える≫という部分が問題なのか。
posted by 甲虫1 at 2010年11月27日 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年11月21日

主権について

《「人民による人民のための人民の政治」というけど、このなかで「人民の」は要らないんじゃないか》というようなことを言っていて、そのときは「?」と思った。[中略]。けど、これ、今ならわかる。

「自由民主主義」という中の、「民主主義」は要らない、と言っているのだ。「自由主義」だけあればいいと。
甲虫ブログ: 主権者のいないはなし
これは、ちょうど一年前ぐらいに書いたことだが、それこそ安彦良和のような人の考え方というのはこういうものだろう。

ただ、彼ら団塊の世代は、こういう考えが≪倒錯≫とか≪罪≫であることを引き受けさせられていたような気はする。
もちろん、現在ではこっちのほうが≪普通≫であるどころか正義であり常識だということになってしまっており、だからこそ安彦氏が≪新左翼系マンガ家≫という扱いになってしまったりするのである。
posted by 甲虫1 at 2010年11月21日 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年11月20日

「ノンセクト」の心情と「内政干渉」

安彦良和というのは、多くの同世代人と同じく、右翼なんだか左翼なんだか、過激なんだか保守的なんだかよくわからない人だ。でもこの記事では「ノンセクト」をキーワードにしてそんな安彦氏および多くの同世代人の在りようがうまく表現されていると思う。

ところで僕は、ここで描かれている安彦氏のわけのわからない意見がなぜかあまり不快でない。≪市民≫は無責任に「道義」を振りかざしていて良いのではないか、という気がしてしまったのだ。
実際に安彦氏の作品を読んだらたぶんイラつくんだろうなとは思うし、ふだん言ってることとは真逆だというのはわかっているのだが。

あと、(内政)干渉云々については、今日たまたま以下の二つのブログ記事を目にした。どちらの記事にせよ、干渉はするか/しないかではなく、ひとつの技術であるということを示すものだと思った。
posted by 甲虫1 at 2010年11月20日 18:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年11月19日

暴力装置

訓致化。
ツイッターでは政治家が政治学/社会学における初歩の初歩も知らないのか、として批判者を問題視する反応が(私のタイムラインでは)多かったように思いますが、今回の事案で重要なのはヴェーバーやレーニンがどうということではなく、現代の日本において市民がいかに訓致化されているかということです。
「暴力装置」イコール問題発言の構図 - on the ground 「暴力装置」イコール問題発言の構図 - on the ground
この一件に関しては、「暴力」という語の禍々しさが焦点になっているようなのだが、「ブリタニカ国際大百科では、政治学的には合法・違法にかかわらず物理的な強制力をそう言い、法学的には不当なそれのみを暴力とする」(「格闘技団体は暴力装置? - 電脳如是我聞 - 長尾メモ8 weblog」)という指摘がある。

既に作られてしまった法の中では不当な暴力とそうでない力の行使とは分けることが可能だが、その分割の根拠である法が作られ維持されるための力そのものは不法か合法かは区別できない、ということであり、にもかかわらず現代の日本では前者の区別が(いわば≪先取り≫される形で)自明視されてしまっている、ということだろう。

でもこれ、なんだかこのブログではおなじみすぎて面白味のない話ですね……。
posted by 甲虫1 at 2010年11月19日 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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