2011年04月06日

知識と善と風評被害

デマや風評被害や差別というのは知識が足りないから起こるとされているように思う。でも僕はそれに疑問を感じる。

デマは≪事実に基づかない≫から問題なのであり、合理的な理由に基づいていれば不平等な扱いをしても差別とは言えない――というようなことは言える。たしかに、ちゃんとした知識がある者が悪意なくそれらを行うことはありえないだろう。

しかし、たとえそれが不合理でも差別は絶対にしないという態度はありうる。
たとえば、たとえ伝染病がうつる可能性が高くてもあえて感染者と平等に接することを選ぶということは可能だ。
それが客観的には人を不幸にする≪悪いこと≫としか評価できなかったとしても、それは別に論理的に矛盾した≪そもそもありえないこと≫ではない。

知識があればデマや差別を防げるというのは、最善の結果を判定しそれに可能な限り近づきうる≪知≫の働きを善とすることから逆算して得られる発想に過ぎないのではないか。そこから見れば、デマや差別が悪いのは、単に全体最適に反するからだ。

優しさだけじゃ人は愛せないから、とか唄の文句にもあるわけで、なにもかも犠牲にして≪善いこと≫をせよ、などと言われたところで、長続きはしないだろうし世界全体の幸福の総量は減っていくだけなのかもしれない。
しかしそもそも、その≪幸福の総量≫をだれがいかにして観測するのか。何が善(目的)であるかということがあらかじめ≪客観的≫に決まっているとしたら、それ自体が不幸だと言えるのではないだろうか?
posted by 甲虫1 at 2011年04月06日 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月02日

不幸は罪である、とか

京都地裁の和久田斉裁判官は31日、2人の業務をパートなどと同じ「家計補助的労働」と位置付け、雇用継続を期待する合理的理由がないとして請求を棄却した。2人が京大出身であることに触れ「生活を営むのが可能な収入を得られる職業に就くべきだ」と言及。原告側は「大きなお世話」と憤っている。
雇い止め:非常勤の再雇用を認めず 京大元職員の職業観に言及−−京都地裁 - 毎日jp(毎日新聞) 雇い止め:非常勤の再雇用を認めず 京大元職員の職業観に言及−−京都地裁 - 毎日jp(毎日新聞)

給料が安いと首にしても可だと。
すごい便利な話だな、と思う。

けど、こういう風に考えている人は、雇う側はもとより働いてるほうにもたくさんいるんだろうな、とも思う。おそらくある観点からすれば、こう考えることは≪論理的に正しい≫んだよね。

この裁判官を笑うことは、ほんとはかなり難しいことなんじゃないだろうか。


※前にこんなことを書いた。

posted by 甲虫1 at 2011年04月02日 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月01日

意味不明のつぶやき

なんとなくわかってきたのは、「理系」とか「自由主義」系統のひとたちのいらだちというのは、「第三次産業化した社会」というものに向けられれているのではないか、ということ。

これは「働かない権利」みたいなものを忌み嫌い「労働」を重視する人たちにも言えるような気がする。

ロビンソン・クルーソーか。

posted by 甲虫1 at 2011年04月01日 07:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

御用学者

「おまえは御用学者だ」と言われて「あぜん」としたり失笑したりした、とかほがらかにいえる人がいるとしたら、そのひとはたとえ「御用学者」じゃないとしてもけっこうやばいと思うんだけど……。
(あ、これは学者本人だけではなく、ファンとかシンパ――って、これは学者について言う言葉じゃないよな……。なんて言ったらいいだろう?――でも同じですから)。

【追記 22:40ごろ】
どうしてこの人はいつも僕と意見が正反対なんだろう?
posted by 甲虫1 at 2011年04月01日 06:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月30日

「自由の値段」というタイトルはどうだろう

たとえば、自分のために作られたものでないシステムによってようやく生き延びている存在、というものがあるとする。

そしてシステムがその目的のために再編成されるとき、彼らの居場所がなくなってしまいそうだ、ということがあるとする。

彼らが生き残りうるのは二つの場合。
ひとつはシステムの目的のひとつに、彼らが存在すること自体が加えられること。
もうひとつは、システムの変更が阻止されることだ。

システムが新たに目的を見出しそのために変化することによって自分が切り捨てられる、と怒り出す人がいる。
でも、そもそもシステムには目的があるはずではないか。無垢のシステムなんてものはない。それは誰かに何らかの犠牲を強いているはずだろう。ただ、その目的が犠牲に見合ったものであると考えられるからこそ、その存在が肯定されているのではないのか。

なぜ、俺の存在を目的とせよ、と言わないのか。
そんなに手を汚したくないのか。
決して自分のものではないシステムによって生かされること以上に、それは恥ずかしいことなのか。






(原発を止めるとマイノリティが死ぬ、とか言っている人がいるようなので、前から考えてきたことをちょっと書いてみた。なんか、読み直すと僕はすごい全体主義者みたいじゃないか。次の日には逆のことを考えているんだけどね……)。
posted by 甲虫1 at 2011年03月30日 00:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月24日

介入とユートピア


この本やこの書評にはちょくせつ関係はないけれど(僕はこの本を読んでいない)、≪介入が最悪の結果を招く≫という言い方について。

大きく3つのことが言えると思う。

1.これは今日ではまったく「反体制的」ではない。
体制派であるネオリベやリバタリアンの教説になっている。
政府に介入しない口実を与えるものでもあるのである。

2.≪介入が最悪の結果を招く≫ことがあるからといって、それは≪良い介入≫・≪よりマシな介入≫が存在しないことを意味しない。
介入するかしないかが問題ではなく、結果がいいかどうか、そして良い結果それ自体を目的にしているかどうかが問題。

3.介入しないほうがうまくいくことがある、ということは、それが何か積極的な≪力≫や≪法則≫のようなものであることを意味しない。
はっきりとした原因があれば、その「ユートピア」は簡単に破壊されてしまう。
また「政府」それ自体は外部からだけやってくるわけではなく、内的な必然性によって作られているという側面もあることを忘れてはいけない。


ろくでもない介入をしておいて≪介入しなければもっとひどいことになっていた≫などと言い出だすという最悪のふるまいを批判するために「災害ユートピア」のような≪介入しないほうがうまくいく≫という性向が強調されるべきなのであり、それ以上の意味づけは別の危険を招くだろう、ということ。


この柄谷行人の書評を読みなおすと、彼はちゃんとわかっているのであって、僕などが心配することはないのかもしれない。
でも上に述べたようなことは、たとえば20年前には僕自身を含めてちゃんとわかっている人は少なかったように思う。
みんな「おせっかいな政府」に対する怒りと憎しみであたりまえのことを無視してしまっていたのだと思う。
僕などがこういうことを書けるのも、わりと最近の歴史的な成果なのだ、ということだ。
以上。
posted by 甲虫1 at 2011年03月24日 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月20日

自立って嫌いな言葉なんだけどね…

批判者に「邪魔だ」とおっしゃる稲葉さんが(しかしWebでは社会的地位のある人でもこういう口を利いて良いということになってるのはちょっと嫌な感じだが)夢中になってるのがこれか。

まだちゃんと理解していないけど、被災地を外部から援助するだけでなく、被災者自身に働いてもらおう(そして給料という形でお金を回そう)、ということらしい。

ロシアが被災者を労働者として受け入れることを申し出ているというニュースを見て、「?」と思ったのだが、そもそもそういうスケールの災害だったんだ、ということなんだろうか。
posted by 甲虫1 at 2011年03月20日 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月18日

「言い続けるのが大事」とか言ってた人がいたな……。【追記あり】

追記
こんなこと言われちゃったんですが……。:
@usoki なんかもんのすごく誤解されてるみたいですよ。 http://coleopteran.seesaa.net/article/191321803.html
Twitter / ロムえもん: (rom_emon)

引用したツイートは「実在しても声が上げにくい状況になっている」という表現自体に対する揶揄だと理解したんですけど、違うんでしょうか。

もちろん「実在」するものは「災害時の性暴力被害」です。

あと、当ブログについて「「リフレ派とネトウヨの関係」がメインテーマ」だという言及もあるんですけど、リフレ派と一部の「反原発」派のロジックの類似についても前から気になっています。なんか広瀬隆が「再評価」されてるみたいなんで、僕は嫌なんですけど……。(3/19 10:15ごろ)


なんだこりゃ。

「日本人が外国人からの被害を訴えただけでネトウヨ呼ばわりする」なるほど、そういう捉え方もあるのか。井戸に毒を入れ回ってる外国人集団が実在しても声が上げにくい状況になっている。
Twitter / usoki: 「日本人が外国人からの被害を訴えただけでネトウヨ呼ば ...

自分の嫌いなものはネトウヨでも「フェミニスト」でもなんでもいっしょってことか。

そろそろこのへんヤバくなってきている。
posted by 甲虫1 at 2011年03月18日 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月11日

モンスター

なんか「モンスターでいる権利」みたいなものが問題になっている気がするな。

二重社会は批判したいが、それが一元化されるときに放り出されるのは困るというか困る。
posted by 甲虫1 at 2011年03月11日 06:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月10日

パターナリスト


これちょっと面白いというか不思議なのは、tikani_nemuru_M(地下猫)氏って、たしか、≪自分はパターナリズムを否定しない≫みたいなことをおっしゃっていたことがあるから。

これじゃまるで逆だろう。

パターナリズム批判に対する批判といえば、やはりホームレスと売春の安易な肯定の批判だろう。
これらを抜きにしてあえて≪パターナリズムを否定しない≫というのは、都合のいい男性中心主義と見た目には違いがなくなってしまうと思うのだが……。
posted by 甲虫1 at 2011年03月10日 23:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月08日

「もめごと」を「理論的」に言い換えてみる

僕は書いた。;
あからさまに言おう。マイノリティに対してあなたは悪くないのだと言うことと、戦前戦中の日本に対してそう言うこととを「同じ」と見てしまう人がいるのだ。そして、ある意味僕もその区別ができない人間の一人だ。前者は実際に悪くないのだが後者はそうでない、と断言できない。[中略]「客観的」な判断を拒否する権利こそが与えられるべきものだ、というのがそのような主張の核にあるものなのだから。

甲虫ブログ: 逆鱗とかその他


この件がまた浮上してきてるな……。

時間がないのでとりあえずメモ。
posted by 甲虫1 at 2011年03月08日 06:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年03月02日

朝っぱらから愚痴

あのさ、

1.他者を道徳的脅迫でコントロールしようとする「活動家」



2.道徳に背を向けても生きざるを得ない「生活者」

の二つだけを比べるのって、どんな意味があるんだ?

この二つを裏返すと、

3.道徳なんて無関係に他者をコントロールできる「支配層」



4.生存に反しても道徳的であろうとした「死者」


が存在するはずではないか。

いい大人が何を言ってるんだ、って言いたくなってくるよ。
posted by 甲虫1 at 2011年03月02日 06:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月27日

われら多数派

さて、なぜ「植民地支配は価値観としては中立」という発言が僕にとって重要なのか、ということなのだが。

「日本人は(日本国内で)差別されている」というネット右翼の奇妙な主張があるわけだが、それは公民権の価値の低下(という意識)が背景にあるのではないか、みたいなことを前にちょっと書いた(「「市民」の話」)。

ところで、左翼というのは選挙では負け続けである。しかもというかなんというか、いわゆる先端的な文化人というのは新左翼を経由してたりするので、彼らは議会政治では最弱政党である共産党などよりさらにマイナーな存在である。
だから、そういう文化人やそのシンパが、自分は公民権のお世話になったことはないなどと考えても、そんなにおかしくはない。でもこれは、このようなポスト新左翼文化人とネット右翼との間に密かな連続性があるということなんじゃないだろうか?

「植民地支配は価値観としては中立」というのは、そのようなポスト新左翼サブカル文化(<だんだん長くなっていくな……)からすれば、当たり前の発想なのだと思う。しかし、日本生まれの日本人であり健常者である男性が、なお自らをマイノリティと認識するというのはどういうことなのだろうか。

今の日本は左傾化している、と言う人がいる。保守系文化人やネット右翼ではなく、良識ある人物が、である(二人ほどだけど)。僕はそれを疑問に思ってきた。逆じゃないか、と。
しかし、上の認識が事実なら、確かに日本はある意味で左傾化している。
ただ、そうすると「左傾化」のトップランナーは、たとえば在特会だったりすることになってしまうのだが。

「多数派の特権」の批判というのは、そういう中でどういう意味をもつのか、などと考えてしまうわけだが……(なんか、話が逸れたな……)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月27日 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月23日

「植民地支配は価値観としては中立」だそうです。


はてなブックマーク - 国を守るという意味 : アゴラ - ライブドアブログ」での議論のつづきらしいのだが……。

しょうじき唖然とした。

検討はのちほど(<……しなさそうだけど)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月23日 06:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月20日

左翼と自由との、いささかめんどうな関係について



「左翼」という言葉は個人主義と集団主義という対極的な思想の両方と結びつけられるが、これは矛盾している、という話。

これを読んでまず最初に、これ書いたことあるわー、とか「地獄のミサワ」みたいなことを思いました。
でも考えてみれば僕は、この二つの対極にある発想が左翼思想の内部対立の中に実際に存在すると思っていたわけで、分類の不備と考えるこの記事とは違います。

次に、これは≪敵≫のモンスター化という一般論で解釈できることなのではないか、と思い直しました。
「左翼」を批判するのは主に「右翼」や「保守」であり、彼らの何よりの特徴は、自分と他者との扱いの非対称(不平等)を肯定してしまうことであるわけですし。

でも、よく考えたら、これって「自由」――共同性からの――が持つややこしさの問題だと考えたほうがよいのではないでしょうか。

たとえば、ナチスとかポルポト派とか、子供を親から引き離して≪社会的に≫育てる、ということが時に行われるわけですが、それって「個人主義」でしょうか、「集団主義」でしょうか。
それは集団主義に決まってるじゃないか、といわれるかもしれませんが、そして実際にはほとんどがそうなんでしょうが、しかし家族という集団から脱出する/できる、ということは、個人の自由というものの最大の魅力の一つであるわけで、フィクションなどでそういうものが肯定的に語られることはしばしばあることです。

逆に、いま世の中に多くある「自由主義」は、家族(および、それに類する≪自然に≫形成された集団)についてだけはなぜか肯定的であるものが多いような気がします。
そう、「個人主義」かつ「集団主義」という(hamachan氏にとっては矛盾した存在であるところの)「左翼」なるものは、そのような「自由主義」の反対物なわけです。

国家・個人・中間集団の三者の位置づけによって、≪自由≫主義は大きく二つに分けられるようです。
中間集団が国家に抵抗することによって個人を自由にするというアメリカ型と、国家が中間集団から個人を救い出すというフランス型です。
なんかわれわれは、後者のフランス型に対する警戒心――けっきょく国家の肯定になってしまっているのではないか? という――を強く身につけてしまっているようなんですが(旧枢軸国として、国家の暴走に対しての反省心があるんだろうか?)、しかし実際には、われわれが手にできた自由というのは、ある意味このフランス型に近いものでしかないような気がします(いわゆる「ヤンキー憎悪」みたいなものって、それだと思うんですよね)。
この二つが組み合わさると、かなり奇妙な主張になってしまうと思うんですが、しかしそのへんの分析って、ちゃんとなされているんでしょうか……。

――などという他力本願のつぶやきで、今回は終わります。なむあみだぶつ。
posted by 甲虫1 at 2011年02月20日 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月16日

これからどうしよう

困った。

最近のこのブログの記事を眺めていると、句読点が行頭に来てしまっていることが多い。
これはたぶん、レイアウトが崩れるのを恐れて(特にIE6で)僕がスタイルシートをいじった結果である。
しかしその変更をしたのは何年も前のことで、細かいことは忘れてしまっている。
再修正は非常にめんどうである。

各月のページを検索ロボットが拾わないようにするなど、他にもしなければならないこと、したほうがいいことはいくつもある。だいたい記事のカテゴリー分けを放棄してから何年たっただろうか。

しかし、そういった手間をかける価値がはたしてあるのかどうか。
そもそも世の中では、いまさらブログでもないだろうという雰囲気が非常に濃厚である。
でもそれは今に始まったことではない。
今ほど流行ってはいなかったが、このブログを始めた時点ですでにツイッターは存在していたような気がするし、はてなブックマークもたしかあった。
どうせそれらのような使い方しかしないだろうと思いつつ、自分はあえてブログを選んだ、という意識がはっきりとあるのである。
もちろん、ブログとそれ以外が排他的な関係にあるわけでは別にないわけで、同時にやっている人もいる、というかそのほうがたぶん多いわけだが、僕にそれができるような気がしなかったし、今もしない。

というわけで、このブログは今後も惰性で続いていくわけであるが、しかしもうちょっとなんとかならないものだろうかとは思う。
特にこのタイトルはどうか。
昆虫が好きな人たちに悪いと思いつつ、しかしただでさえ薄い存在感が、名前を変えたりなどしたら消し飛んでしまうのではないかという恐れから、ずっと変更できないでいるのであった。
posted by 甲虫1 at 2011年02月16日 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月12日

事実と利益の王国

うまい具合に個別利益の総和で纏められるといいけど。そうなれば、革命は革命された、最早政治に理念の余地はない、という事になり、後々、人類はエジプト人に感謝を捧げることになる。二百年の迷妄から解き放ってくれて有難う、と。RT @s1061123: そうですね.そういった意味では自//
Twitter / 佐藤亜紀(tamanoirorg)


で、そうした意思決定とその実行が行われる共同体は、いかなる出自も、いかなる目的も、いかなる価値観も共有している必要はない訳ですし、そこで妥当なgiveとtakeが成立しているという以外には、そもそも一体である必要すらないだろうと考えているので。@tikani_nemuru_M
Twitter / 佐藤亜紀(tamanoirorg)
Twitter / 地下猫:(tikani_nemuru_M)への返信)


なんか、佐藤亜紀氏へ僕が感じる≪なじめなさ≫がはっきりするようなツイート。

一切の「理念」抜きで「個別利益の総和」で事を進める。その主体となる共同体は「妥当なgiveとtakeが成立している」のみであり、「いかなる出自も、いかなる目的も、いかなる価値観も共有している必要はない」。

一見ニヒリズムというかマッチョというか、現実から始まり現実で終わるように見えながら、しかしこれ自体がすごい理想主義だと思いませんか。

まああれです。『風の谷のナウシカ』(コミック版)のラストでのナウシカの決断に共感してしまうような人たちとものとは、これは対極にある発想だと思いますが、しかしなんか≪反対の一致≫というか、似たようなものであるようにも感じます。なんというのかな、価値と存在の二元論を否定する、とかそんな感じですか……(われながらてきとうすぎる)。


追記 (4/2)

福島原発事故後に、こんなツイートが……。
Twitter / 佐藤亜紀: 漫画版の最後の辺りが好きだ。是非。RT @takag ...
佐藤氏もコミック版『ナウシカ』の終盤が好きなのか。
「反対の一致」どころではなかったですね……。
posted by 甲虫1 at 2011年02月12日 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月06日

フェミニズム・の・理解

リンク元(ありがとうございます)のTwitterを見ていて発見した発言。

村瀬学という人は『ガロ曼荼羅』で呉智英のことを「フェミニズムさえ理解すればすごい思想家になる」とか書いてたな。その程度じゃ全然駄目だろう、というか思考の型がフェミニズムを理解できるようにはなってないっしょ。
Twitter / ロムえもん: (rom_emon)

いや、あの、呉智英って一体どういうふうに受容されてるんだろう。彼はフェミニズムを「理解」していないと思われてるんだろうか?

呉氏ははっきりフェミニズム以降の論客でしょう? 彼にとってフェミニズムは仮想敵として≪乗り越える≫つもりの対象だったんじゃないんですかね。もちろんフェミニズムをちゃんと理解できていないということはありうるんだけど、少なくとも無知によってそうであるわけではないでしょう。

呉氏が単なる馬鹿であるのなら言及すること自体が間違いなのであって、もし呉氏の議論が有害なのであるとすればそれがフェミニズムによる批判に直面しない理屈を考え出し実践した物だからだ、ということになると思いますけれども。
posted by 甲虫1 at 2011年02月06日 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月03日

極左とリベラルが相反するのか類似するのか良くわからない件について

独裁者だから悪いんじゃなくて、悪いことしてるから悪いんだと思う。ブルジョア民主主義と権威主義的政体はその形式だけではどっちがどうというわけじゃない。
Twitter / つねちゃん:(toled)


わー、僕と反対のこと言ってる! とか一瞬おどろいた。そういえば「プロレタリア独裁」も≪良い独裁≫だよな、と。

けどこれって、現政権は独裁だからではなく親米だから批判されている、という見解(「エジプトの夜明け?新たな一頁へ|フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba エジプトの夜明け?新たな一頁へ|フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba」)と同じなんだね。

しかし、この件についてのある種の≪リベラル≫のひとたち(←遠まわしな表現)の言ってることは、ほんと目を疑う。

普段は「ゼロサムゲーム」を批判しているくせに、経済(生存)と政治の間にはゼロサムをみるわけか。ほー。みたいに思うのだ。こっから先は、いつもの愚痴になるのでやめる。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

ネトウヨ分類

これをリンクせずにいられようか。


ふむ。
女子中学生じゃないJCってなんだろう(そこか)。


以下余談。

真面目な話、ネット右翼(ネトウヨ)にもいくつかの層があるというのはときおり感じられることである。
そしてネットサヨクにも。というか、僕がちかごろ気にしているのはむしろそっち。

ちなみに僕のいうちかごろっていうのは、平気で5年とか前からだったりする。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 22:44 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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