2011年08月25日

2ヶ月ぶりの投稿です

はい。Twitter(@coleo_log)ばかりやっております。

もうちょっとフォロワーが増えるといいな、などと思いつつ、ついやめられなくなってしまって。
ちなみに現在、45人フォローしており、20人からフォローされていて、うち相互フォローが、えーと13(今数えた)。

でもこのブログも、検索から来る一見さんを除けば数人しか見てくれてなかったわけだし、ぜいたく言っちゃいけませんね。


携帯からも見たり投稿したりなどしているのですが、最近ちょっと気づいたことが。


「ひきこもりは退屈を知らない」と言われています(言われてるんです。知らなかったあなたはひきこもりについて無知だったということなので反省しましょう)。

僕自身も退屈というのを感じることがすごく少なかったのですが、Twitterを見てないときに、ある種の苦痛を感じるように。
これが退屈か……。

って、まあちょっと誇張が入ってますが、少なくとも何もすることがないことが苦痛だ、というのはだいぶ久しぶりなことであることは確か。

まあ、これが恒常的になるとか、自分自身が変化したとは思わないですが、ちょっとおもしろいことではあるかな、と。

(なんだこの文体……)。
posted by 甲虫1 at 2011年08月25日 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年06月26日

「疑似科学批判」と「はてサ」を巡って(6/25のツイートから)

coleo_log / 甲虫1
腹が立つので繰り返すが、僕の中では広瀬隆とリフレ派は同じ箱に入っている。政治的立場を超えて全員一致できる解決法を薦めること、そのくせ反対者を人殺し呼ばわりすること… at 06/25 10:27
coleo_log / 甲虫1
これちょっと面白いな。僕は前から「はてサ」批判者のロジックだとリフレ派や疑似科学批判にも批判的になるはずだと思っていたが、実際にそれが表明されたのは初めて見た。
はてなブックマーク - 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所 http://t.co/boaEkdw
 at 06/25 21:46
coleo_log / 甲虫1
でも今は、はてブではリフレ派とか疑似科学批判の人ってそんなに目立たないからバトルとかにはならんのだろうな。このコメントだって直接の批判対象はリフレ派や疑似科学批判じゃないし。 @coleo_log at 06/25 22:02
coleo_log / 甲虫1
でもね、こういうこと書いてるとすごい孤独を感じるよね。疑似科学批判者と広瀬隆派、はてサとそれに対立する…吉本的自由主義者(?)、僕はどれでもないわけだから。孤立してると安心する、みたいなことを言ってた人がいたような気がしたけど、僕はそんな器じゃないしね… at 06/25 23:16
posted by 甲虫1 at 2011年06月26日 07:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年06月18日

「ネトウヨ」のイメージ(Twitter連携テスト)

ちょっとテスト。

coleo_log / 甲虫1
前にこういう顔の「ネトウヨ」が自民党の工作員として働いてる、みたいな画像が出回ったことがあったよね。こういうイメージを植えつけたいグループがいるのかな…。
愛する妹が気持ち悪いオタクにそそのかされ、ネトウヨ(ネット右翼)になるゲームが話題に http://t.co/XVP8U58
 at 06/18 12:48
coleo_log / 甲虫1
@coleo_log ちなみに僕のネトウヨとかオタクのイメージって、銀ブチ眼鏡で早口で喋りまくる浅田彰みたいな感じなんだけど、これってすごい古い(おそらく80年前後のもの)んだろうな…。 at 06/18 12:55


Seesaaブログにはプレビュー機能がないので、一体どんな風に表示されるのか投稿してみないとわからないので投稿。
posted by 甲虫1 at 2011年06月18日 21:36 | Comment(4) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年06月07日

twitter

始めてみた。

http://twitter.com/coleo_log

とりあえず、あまり会話が成立しなさそうなユーザーばかりをフォロー(ひどいな……)。

コミュニケーションが嫌いなんじゃない。コミュニケーションで/を、失敗するのが嫌なんだ。


とりあえず報告しておきます。

posted by 甲虫1 at 2011年06月07日 06:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年06月06日

意思

たしか震災前に言ったことが、いまでも当てはまる。

正義や道徳をふりかざす理想家に対して、道徳・正義に背を向けても生きざるを得ない生活者を対置するって、どうなんだ。

もちろん、いい加減な気持ちで言っているなんて言うつもりはないよ。
ただ、「命」は守っても「意思」は守る気がないってことかい? とは言いたくなる。

ああ、これも『まど☆マギ』の話か。
posted by 甲虫1 at 2011年06月06日 06:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月29日

ジャンクション

ちょっといま考えていることの文脈をつなげるためにメモしておく。
このあいだ「甲虫ブログ: 俺の無意味な生を愛せ、みたいなこと」で描いたような人たち(の発想)というのは、要するにネットでいうところの「非モテ」(あるいは「男性弱者」)というやつではないのか、というのに、書きおわったあとで気がついた。


で、そこで問題になるのは、彼らが主に男性だということ。
彼らがこだわる無意味な生――他者から意味づけられない生――というものは、そもそもモデルとして賃労働(によって得られるもの)を想定しているのだと思う。

これは、彼らが「働きたくない」と主張する場合でも同じだ。そのとき拒否される労働が家事や育児だったらどうか、というようなことは、微妙に忘れられているのではないか。労働の拒否というのは、おなかをすかせて泣いている赤ん坊をあえて放っておくようなことであるかもしれないのだが。(そのことに気づいて、突然それまでとは正反対の主張を始める人がときどきいる)。

勤めに出て稼いでくる、ということは、家に居るときは休みである、ということだ。しかし、そうでない人はたくさんいる。
主婦がその代表例であるために、これはフェミニストにとって中心的問題になっているわけだが、もちろんそれ以外にも休日とか非番とかいうことが意味のない職業は存在するし、女性が(男性がしてきたように)家事をだれかに押し付ける、ということだって可能である。

なので、この点に関してフェミニスト(およびそれを意識した女性)の意見は微妙なものになる。
これは表現規制問題(これを、もちろん僕は「無意味な生の肯定」を巡る問題の代表的なものだと思っている)について、一方でポルノの性差別性に怒りつつ、もう一方で表現や内心の自由(「オナニーする自由」とか)に対する抑圧に憤る、という分裂(これは一人の人が両方を主張する、という場合だけではなく、いわば「分業」がなされていることもあるが)は、おそらくこれに由来するのだろうと思う※。




※注 性差別に憤ることと、ポルノを楽しむ権利を認めることは矛盾しない、と言われるかもしれない――というか僕もそう言っていた。
それは確かにそうなのだ。
でも、何をしてもしなくても他者の評価にさらされてしまうという現在の女性のありかたと、「仕事」という壁でそれらから守られるという現在の男性のありかたがあるとして、前者の立場から後者を批判することと、女性が後者のありかたを獲得していくことという二つの方向性は、やはり両立は難しいのではないか。
もちろんこんなことはフェミニズムではとっくに議論されていることだとは思うが、すくなくとも何らかの「理論」だの「常識」だの「シンプルな立場」とやらでそれを簡単に解決できるかのように言うとしたら、それには警戒せざるをえないだろう。
posted by 甲虫1 at 2011年05月29日 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月28日

県民指紋制度

1955年、愛知県警は県内で発生した事件・事故被害者の身元確認の迅速化のため、指紋登録制度の運用を開始した。登録の対象者は県内の中学校3年生及び他府県からの新規就職者であり、全員が学校あるいは職場で手の十指の指紋を採取された。登録された指紋は200万件に上り、身元不明者の照会に威力を発揮した。
県民指紋制度 - Wikipedia 県民指紋制度 - Wikipedia


あ、この話、うちの母から聞いたことがある(ちなみに母は1940年生まれ)。
中学のときみんな指紋を取ったって。
これ愛知県だけだったんだ。

登録の際、教師が「将来犯罪者になるつもりがあるなら登録しなくていいぞ」みたいなことを言ったらしい。

そういう中途半端に≪わかっている≫人が関わってるというのはすごく嫌な感じですね……。
posted by 甲虫1 at 2011年05月28日 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月18日

「優先」はヤバいと思う…

悪いがこれはないのでは。

rna 「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断される」その通り。僅かな発ガンリスク低減より途上国の子供の命を救う方を優先すべき。 2011/05/18
はてなブックマーク - 児童拳銃 - rna のブックマーク


まさに悪い意味での留保のない生の肯定。

このあいだ「「生の無条件の肯定」は「生が肯定されさえすれば条件をつけるな」にしばしば転化してしまうので危険なのである」と書いたことのひとつの実例。

というかですね、「優先すべき」と書くことは、rnaさんがあえて「寄付」という方法をとること――つまり、一般的に正しいかどうかは知らないが≪自分は≫こうしたいと思い、それを実行すること――の意味を薄れさせてしまうことになるのでは。

左翼的正義とある種の自由主義は、混ぜると両方の意味が薄れることがあるのかもしれないのかな、とちょっと思いました。
posted by 甲虫1 at 2011年05月18日 06:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月17日

停電と主体性

計画停電はヤラセだった、みたいな見出しをつけた記事を載っけた新聞があったみたいで、また「理系」の人が怒ってるんですけど……。

でも、あの当時思ったけど、電気を止めると弱者が死ぬ、っていうようなことを真剣に考えてるんだったら、そもそも計画停電なんて言語道断なわけでしょ? 信号まで止まるって、とんでもないことじゃないですか。

でもそれは、なにやらやすやすと行なわれてしまった。
予期しない停電が起こることをいちばん恐れたんでしょうね。まあそれは電力会社的には仕方ないかもしれないけど、じゃあわれわれ、というか「社会」のほうはそれでいいのか、ってことはある。

あるタイプの反原発の人がよく言いますよね。「原発に反対することは電気の使用に反対することではない」って。原子力は危険だからイヤだというのと、停電はイヤだというのを両方言ってもいいんだ、と。

それとは逆に、「計画停電はヤラセ」に怒っちゃうような人って、なんかトコロテン式というか、こっちから1センチ押されるとこっちから1センチはみ出すとか、そういう発想で考えてるような気がする。

これは、良く言えば誠実だと言えるけど、悪く言えば、そう、無責任。
だってそれは「主体性」みたいなものを認めたくない――自分が責任を取りたくないというだけではなく、世の中には「どうしようもないこと」があるってことをやすやすと認めてしまう、という意味で――ってことだから。

結局こういうのって、この40年ぐらいの日本で許された数少ない「反抗」のかたちのひとつだったんだろうな……などと思ってしまうんですけど、これは通用する場合としない場合があるわけで……。
posted by 甲虫1 at 2011年05月17日 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月15日

市民社会とは何か

この本読んだんだけど。
市民社会とは何か−基本概念の系譜 (平凡社新書)
植村 邦彦
平凡社
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なにがどうというより、中盤に出てくるヘーゲル『法哲学』の引用がすごい。
「市民社会論」はくだらないかもしれないが、そんなことよりどうやったらヘーゲルに勝てるのか考えたほうが良いのではないか。

カントやウィトゲンシュタインは許せんというような人ってヘーゲルについてはどう思ってるんだろう。
posted by 甲虫1 at 2011年05月15日 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

第四項

「反原発」「脱原発」と来たら、次は「超原発」しかないのではないか。

具体的にどういうことなのかはわからないが。
posted by 甲虫1 at 2011年05月15日 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月09日

俺の無意味な生を愛せ、みたいなこと

無条件の生の肯定(この前の記事――「生の肯定」――で語ったような意味においての)。

たとえば、宮崎駿は生を無条件には肯定しない。

なにしろ、愚図は嫌いだよ! の人なのだ。
生は闇の中でかすかに輝くから尊いのである。

宮崎アニメの描く少年少女はすでに、あるハードルを越えた者たちであり、ぶっちゃけ何のとりえもない俺らには関係ない――なんて批評(愚痴)を、この30年どれだけ聞かされたことか(でも僕も時々そう思う……)。

そのような有能な登場人物ばかりなのは、宮崎氏自身のコンプレックスのせいなのかもしれないとも思うのだが。

『魔法少女まどか☆マギカ』の結末とコミック版『風の谷のナウシカ』の結末、批判してる人が重なってるんじゃないの? という気がするのはたぶん錯覚じゃなく、「生への意味づけ」に対して否定的な人がいるんだろうなあ、というようなことを考えている。



「生の無条件の肯定」は「生が肯定されさえすれば条件をつけるな」にしばしば転化してしまうので危険なのである。
では、それを恐れない理由はなんだろう。
おそらくそれは、自分は誰にもかえりみられることはないだろう、という確信だ。
でも、なぜ、そんなものを持っているんだろう?
posted by 甲虫1 at 2011年05月09日 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月08日

生の肯定

生存や安全の権利について語ると、それを必要なコストを無視した議論だとして「留保のない生の肯定」と呼んで揶揄する人がいた。

ところで、福島原発の事故をうけて原発に対する批判の声が強まるなか、原子力産業(電力会社)や原発周辺自治体の関係者でもないのに「原発を止めると弱者から死んでいく」などと騒いでいる人たちが目立つ(その人たちの一部は「自分は原発には反対だ」と言っている)。

僕はむしろ、この人たちの思想こそ「留保のない生の肯定」と呼ばれるにふさわしいものなんじゃないかと思う。それは「生」に特定の意味を持たせることを拒絶するものだ。
金がなくて死ぬのはしょうがないが「正しさ」に殺されるのは嫌だ、ということなんだろう。

これは揶揄とかではなく、この人たちにとって、おそらくこの3-40年ほどのあいだに人類が得た最大のものがこの「生の肯定」なんだろうな、というのはわかる。

しかし、その「生の肯定」の及ぶ範囲は限られている(逆に特定の人の生を否定しかねないし、実際この人たちは、たとえば原発が存続することによる死については、かなり寛容であるようだ)とか、それを拡張するためにはそれこそ無限のエネルギーが必要なんじゃないの? とか言いたくなる。



――何かおかしい。これでは立場が逆ではないか。というか、視野を局所化すると意味が反転する、みたいなことが問題なのだろうか?


参照(特にリンク先):



posted by 甲虫1 at 2011年05月08日 00:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年05月03日

「健全な科学」

「事態が刻々と悪化する状況において、エビデンスを重視する科学者的慎重さは、事態を過小評価するバイアスになる」という私の主張には、真っ当な STS(科学技術と社会)研究じゃ「「健全な科学(sound science)の詐欺」という呼び名があるんだと知った。
Twitter / @kabutoyama_taro:4月26日

まえに菊池誠氏の、科学者は断言しない云々のコピペがはやったときに僕は違和感を感じたのだが(甲虫ブログ: まん延する「ニセ科学批判」)、その正体がこれか。

でもこんなこと公害病認定や原爆症認定のことをちょっとでも聞いたことがあれば誰でも思いつくはずのことなんだけどね……。
posted by 甲虫1 at 2011年05月03日 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月28日

「社会参加」の位置づけ

『魔法少女まどか☆マギカ』、一通り視たんですが、うーん、まああの結末=結論に納得できん人はいるだろうなあ、とは思いましたね。

作中世界での魔法少女が≪男に貢ぐキャバ嬢≫みたいなものだ、というのはかなりあからさまに描かれてるけど、ならその魔法少女たちに≪後悔しなくていいんだよ≫と呼びかけるヒロインは何をしていることになるのか。
さらに、その多くが男性である視聴者と制作者がそれを肯定するというのは何を意味するのか――というような問題意識はありうるのではないかと。

あのような結末を≪予言≫し、それを肯定する記事を書いたのがhokusyu氏(約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論 - 過ぎ去ろうとしない過去)。

僕が思い出したのは、hokusyu氏はベーシックインカム(BI)に否定的だったよなあ、ということ。
≪魔法少女になる≫、ということは、≪巨大ロボットに乗って戦う≫ということと同様、「社会参加」の暗喩。
ベーシックインカムが、左翼――しかもポスト新左翼的な――の文脈に登場するとき、それは≪社会参加しない権利≫とでも言うべきものが問題となっているのだと思う。

でも、特に反差別の文脈なんかでは、社会とは参加したりしなかったりできるものでは初めからないわけで、おそらくそのへんの認識の違いが作品の評価の違いを生むことになってるんでしょうね。
posted by 甲虫1 at 2011年04月28日 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月17日

ゼロ年代の集大成ってこと?

『魔法少女まどか☆マギカ』を視始めているんですが(現在2話まで)。

あの、これ、『仮面ライダー龍騎』っすか?
posted by 甲虫1 at 2011年04月17日 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月14日

原発と左翼


原発は左翼的なので嫌いだとnoiehoie氏は言っている。

僕は左翼が好きで原発は嫌いなのでこれにはムカつくが(ていうかふつう原発に反対すると左翼呼ばわりされるんですけど……)、しかし、この感覚は何かを言い当てている。

共産主義者(アナーキスト含む)は昔から生産力を増大することにこだわる。
そしてその生産力が生み出すのは、既存の関係から解き放たれた新しい世界。

今回の原発事故で、本人は前から原発に反対していたような人のなかにも、事故の規模や放射性物質の害が≪過大評価≫されることを必死に避けようとしているかのような発言をしている人たちがいた。

また、直ちにすべての原発を止めよという主張に対し、電力を失えば人が死ぬ、しかも弱者から、といい始める人たちもいる(これまた原発に反対している人の中にも)。

彼らは何を考えているんだろう?

「生産力」が減少して失われるものはなんだろう?

noiehoie氏が「原発」的な左翼の代表者としてルソーを挙げているのが、おそらくキーになるはずだ。
posted by 甲虫1 at 2011年04月14日 23:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月11日

コミケの起源?

そもそもコミックマーケットじたい1970年代のまんが大会に反発して分離した過激派が新宿歩行者天国を実力占拠して同人誌即売会やろうとした由緒ある反権力過激派団体だった事をもはや誰も知らないwww
Twitter / 山本夜羽音: (johanne_DOXA)
えっ、そうなの?

前から思ってたんだけど、外山恒一の「青いムーブメント」にコミケが入ってないってどうなのよ。

もちろん世代がちょっと前になってしまうんだけど、しかしあれだけのものがずっと続いてるってことはすごいことなんじゃないの?

posted by 甲虫1 at 2011年04月11日 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月10日

優生学の地位

忘れないうちに書いとく。

戦時中の日本が優生学にさほど熱心じゃなかったらしいという資料に驚いたようなことを書いてる人をみたんだけど、それって戦中の日本の方針が「生めよ増やせよ」だった、ということを知ってれば、そんなに意外でもない。

そこらへん、深沢七郎が書いてたはず。

【追記 4/11朝】
これは福祉国家じゃなければ優生学にこだわる理由はあまりない(あくまで「あまり」だろうけど)ということだろう。死地に追いやればすむ(!)ことなんだから。
posted by 甲虫1 at 2011年04月10日 23:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年04月09日

名前は何ごとをも意味しない

共産党は党名変更すべきという意見(そうしたら支持できるのに、とか)をよく聞きます。

いや、これ、カトリックの作家(曽野綾子ではないw)まで言ってるんですけど……。それならカトリックも宗教を名乗るのをやめたらいいんじゃないか、とか言えばいいのに。

社会党にソ連派の共産主義者がいて、逆に「共産党」を名乗るほうがソ連と仲が悪くて政策は社民主義的、みたいな日本の「ねじれ」っていうのは歴史の偶然。

そしてその状況は共産主義者内部の権力闘争が生み出したものなのであって、別に共産党の人が本心から社民主義的かどうかはわからんわけですよ。内部闘争のなかで≪いちばん正しい≫ことを言わざるをえないために、それが本意でなくても現在の政策になっている、ということなわけでしょ?

まあすべて政治家というのはそういうものでしょう。自民党が野党になったとたんイデオロギー的な右翼に成り下がったとか、アメリカの民主党がもとは奴隷制度を肯定する党だったとか。そんな例はいっぱいあるんで、名前が気持ち悪いとか、それこそ日本的なケガレ排除の思想なんじゃないですかね。
posted by 甲虫1 at 2011年04月09日 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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