2011年04月28日

「社会参加」の位置づけ

『魔法少女まどか☆マギカ』、一通り視たんですが、うーん、まああの結末=結論に納得できん人はいるだろうなあ、とは思いましたね。

作中世界での魔法少女が≪男に貢ぐキャバ嬢≫みたいなものだ、というのはかなりあからさまに描かれてるけど、ならその魔法少女たちに≪後悔しなくていいんだよ≫と呼びかけるヒロインは何をしていることになるのか。
さらに、その多くが男性である視聴者と制作者がそれを肯定するというのは何を意味するのか――というような問題意識はありうるのではないかと。

あのような結末を≪予言≫し、それを肯定する記事を書いたのがhokusyu氏(約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論 - 過ぎ去ろうとしない過去)。

僕が思い出したのは、hokusyu氏はベーシックインカム(BI)に否定的だったよなあ、ということ。
≪魔法少女になる≫、ということは、≪巨大ロボットに乗って戦う≫ということと同様、「社会参加」の暗喩。
ベーシックインカムが、左翼――しかもポスト新左翼的な――の文脈に登場するとき、それは≪社会参加しない権利≫とでも言うべきものが問題となっているのだと思う。

でも、特に反差別の文脈なんかでは、社会とは参加したりしなかったりできるものでは初めからないわけで、おそらくそのへんの認識の違いが作品の評価の違いを生むことになってるんでしょうね。
posted by 甲虫1 at 2011年04月28日 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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