2010年02月07日

逆鱗とかその他

もう終わった話なんだろうけど。
rinsenan 「ガメさんの本質は寓話作家なんだから、この場合ガメさんが突っ張る必要は無い」と個人的には思うんだけど。やっぱり逆鱗かなあ。 2010/01/25

このひとはカマヤンさんのところへのブコメでも「逆鱗」がどうとかおっしゃってるが、意味が分かんない。私が言っているのは「靖国問題矮小化」の件にせよ「きんぴらごぼう」の件にせよ要するに「テキトーなこと言うなよ」に尽きるんだが。「寓話」というのは嘘とは違うんですけどね。
ブクマコメについて - Apes! Not Monkeys! はてな別館
「逆鱗」という表現をしたくなるのはわかる(ただしそれはApemanさんについては当てはまらないと思うけど)。
ひとこと批判的に見えるようなことを言われたら敵扱い、というのにはやはり驚いてしまうわけで、背後に何か《真の原因》みたいなものを想定したくなるのは自然だ。
常識的に考えれば、それは第一には本人の性格の問題だろう。
また、「はてなブックマーク」のシステムに初めて触れたことによるカルチャーギャップがあったのかもしれない。たしかに、通りすがりに「正しい」ことを言い捨てていく、というのは、日本的な「世間」の仕打を思わせる。「世間」はそのようにして手を汚さずにマイノリティを裁くのだ。不幸にして「はてブ」がそういう場だと認識されてしまうことがあるのかもしれないと思う(僕はそうは思わないわけだが……)。


ちゃんと書いておこう。ガメ・オベール氏の言説には、僕は批判的である(もう読めないけど)。氏は曽野綾子批判の記事で大いに共感を集めたわけだが、そのつづきに元性犯罪者の住所公開を肯定的に語ったりしているのだ。
敵と味方を分け、敵に抵抗するにはあらゆる手段を使え、そしてそれが正義だ、というのが、ブログ全般から伺えた氏の論理である。これが、ガメ氏自身も引用する山本七平の立場、「事実であろうと、なかろうと」に通じるものだというのは言うまでもない。
そして、厄介というか困るのは、これがいわゆる60年代以降の反差別運動に通底する部分があるということだ。ガメ・オベール氏が評価されていたのは《弱者の視点に立つ》とかそういうこと関連なのだ。自分さえおとなしくしていれば丸く収まる、という思考を押し付けられがちなマイノリティを勇気付けるための言葉だと、それは受け止められていたのである。

あからさまに言おう。マイノリティに対してあなたは悪くないのだと言うことと、戦前戦中の日本に対してそう言うこととを「同じ」と見てしまう人がいるのだ。そして、ある意味僕もその区別ができない人間の一人だ。前者は実際に悪くないのだが後者はそうでない、と断言できない。様々な事実や、個人と国家の区別などからそのような結論が妥当なのだとしても、そのような「客観的」な判断を拒否する権利こそが与えられるべきものだ、というのがそのような主張の核にあるものなのだから。
そしてそれは、犯罪と非犯罪は「客観的」に区別可能であり、前者のみを機械的に排除することによって人権と自由を両立できる、という考え方と対になっているような気がする。まあ「大文字の他者の不在」とかなんとかそういう話なのだろう。でも、いなくなったというのなら、なぜわれわれはこんなにもそれを恐れてしまっているのか。
posted by 甲虫1 at 2010年02月07日 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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