2011年02月27日

われら多数派

さて、なぜ「植民地支配は価値観としては中立」という発言が僕にとって重要なのか、ということなのだが。

「日本人は(日本国内で)差別されている」というネット右翼の奇妙な主張があるわけだが、それは公民権の価値の低下(という意識)が背景にあるのではないか、みたいなことを前にちょっと書いた(「「市民」の話」)。

ところで、左翼というのは選挙では負け続けである。しかもというかなんというか、いわゆる先端的な文化人というのは新左翼を経由してたりするので、彼らは議会政治では最弱政党である共産党などよりさらにマイナーな存在である。
だから、そういう文化人やそのシンパが、自分は公民権のお世話になったことはないなどと考えても、そんなにおかしくはない。でもこれは、このようなポスト新左翼文化人とネット右翼との間に密かな連続性があるということなんじゃないだろうか?

「植民地支配は価値観としては中立」というのは、そのようなポスト新左翼サブカル文化(<だんだん長くなっていくな……)からすれば、当たり前の発想なのだと思う。しかし、日本生まれの日本人であり健常者である男性が、なお自らをマイノリティと認識するというのはどういうことなのだろうか。

今の日本は左傾化している、と言う人がいる。保守系文化人やネット右翼ではなく、良識ある人物が、である(二人ほどだけど)。僕はそれを疑問に思ってきた。逆じゃないか、と。
しかし、上の認識が事実なら、確かに日本はある意味で左傾化している。
ただ、そうすると「左傾化」のトップランナーは、たとえば在特会だったりすることになってしまうのだが。

「多数派の特権」の批判というのは、そういう中でどういう意味をもつのか、などと考えてしまうわけだが……(なんか、話が逸れたな……)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月27日 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月23日

「植民地支配は価値観としては中立」だそうです。


はてなブックマーク - 国を守るという意味 : アゴラ - ライブドアブログ」での議論のつづきらしいのだが……。

しょうじき唖然とした。

検討はのちほど(<……しなさそうだけど)。
posted by 甲虫1 at 2011年02月23日 06:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月20日

左翼と自由との、いささかめんどうな関係について



「左翼」という言葉は個人主義と集団主義という対極的な思想の両方と結びつけられるが、これは矛盾している、という話。

これを読んでまず最初に、これ書いたことあるわー、とか「地獄のミサワ」みたいなことを思いました。
でも考えてみれば僕は、この二つの対極にある発想が左翼思想の内部対立の中に実際に存在すると思っていたわけで、分類の不備と考えるこの記事とは違います。

次に、これは≪敵≫のモンスター化という一般論で解釈できることなのではないか、と思い直しました。
「左翼」を批判するのは主に「右翼」や「保守」であり、彼らの何よりの特徴は、自分と他者との扱いの非対称(不平等)を肯定してしまうことであるわけですし。

でも、よく考えたら、これって「自由」――共同性からの――が持つややこしさの問題だと考えたほうがよいのではないでしょうか。

たとえば、ナチスとかポルポト派とか、子供を親から引き離して≪社会的に≫育てる、ということが時に行われるわけですが、それって「個人主義」でしょうか、「集団主義」でしょうか。
それは集団主義に決まってるじゃないか、といわれるかもしれませんが、そして実際にはほとんどがそうなんでしょうが、しかし家族という集団から脱出する/できる、ということは、個人の自由というものの最大の魅力の一つであるわけで、フィクションなどでそういうものが肯定的に語られることはしばしばあることです。

逆に、いま世の中に多くある「自由主義」は、家族(および、それに類する≪自然に≫形成された集団)についてだけはなぜか肯定的であるものが多いような気がします。
そう、「個人主義」かつ「集団主義」という(hamachan氏にとっては矛盾した存在であるところの)「左翼」なるものは、そのような「自由主義」の反対物なわけです。

国家・個人・中間集団の三者の位置づけによって、≪自由≫主義は大きく二つに分けられるようです。
中間集団が国家に抵抗することによって個人を自由にするというアメリカ型と、国家が中間集団から個人を救い出すというフランス型です。
なんかわれわれは、後者のフランス型に対する警戒心――けっきょく国家の肯定になってしまっているのではないか? という――を強く身につけてしまっているようなんですが(旧枢軸国として、国家の暴走に対しての反省心があるんだろうか?)、しかし実際には、われわれが手にできた自由というのは、ある意味このフランス型に近いものでしかないような気がします(いわゆる「ヤンキー憎悪」みたいなものって、それだと思うんですよね)。
この二つが組み合わさると、かなり奇妙な主張になってしまうと思うんですが、しかしそのへんの分析って、ちゃんとなされているんでしょうか……。

――などという他力本願のつぶやきで、今回は終わります。なむあみだぶつ。
posted by 甲虫1 at 2011年02月20日 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月16日

これからどうしよう

困った。

最近のこのブログの記事を眺めていると、句読点が行頭に来てしまっていることが多い。
これはたぶん、レイアウトが崩れるのを恐れて(特にIE6で)僕がスタイルシートをいじった結果である。
しかしその変更をしたのは何年も前のことで、細かいことは忘れてしまっている。
再修正は非常にめんどうである。

各月のページを検索ロボットが拾わないようにするなど、他にもしなければならないこと、したほうがいいことはいくつもある。だいたい記事のカテゴリー分けを放棄してから何年たっただろうか。

しかし、そういった手間をかける価値がはたしてあるのかどうか。
そもそも世の中では、いまさらブログでもないだろうという雰囲気が非常に濃厚である。
でもそれは今に始まったことではない。
今ほど流行ってはいなかったが、このブログを始めた時点ですでにツイッターは存在していたような気がするし、はてなブックマークもたしかあった。
どうせそれらのような使い方しかしないだろうと思いつつ、自分はあえてブログを選んだ、という意識がはっきりとあるのである。
もちろん、ブログとそれ以外が排他的な関係にあるわけでは別にないわけで、同時にやっている人もいる、というかそのほうがたぶん多いわけだが、僕にそれができるような気がしなかったし、今もしない。

というわけで、このブログは今後も惰性で続いていくわけであるが、しかしもうちょっとなんとかならないものだろうかとは思う。
特にこのタイトルはどうか。
昆虫が好きな人たちに悪いと思いつつ、しかしただでさえ薄い存在感が、名前を変えたりなどしたら消し飛んでしまうのではないかという恐れから、ずっと変更できないでいるのであった。
posted by 甲虫1 at 2011年02月16日 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月12日

事実と利益の王国

うまい具合に個別利益の総和で纏められるといいけど。そうなれば、革命は革命された、最早政治に理念の余地はない、という事になり、後々、人類はエジプト人に感謝を捧げることになる。二百年の迷妄から解き放ってくれて有難う、と。RT @s1061123: そうですね.そういった意味では自//
Twitter / 佐藤亜紀(tamanoirorg)


で、そうした意思決定とその実行が行われる共同体は、いかなる出自も、いかなる目的も、いかなる価値観も共有している必要はない訳ですし、そこで妥当なgiveとtakeが成立しているという以外には、そもそも一体である必要すらないだろうと考えているので。@tikani_nemuru_M
Twitter / 佐藤亜紀(tamanoirorg)
Twitter / 地下猫:(tikani_nemuru_M)への返信)


なんか、佐藤亜紀氏へ僕が感じる≪なじめなさ≫がはっきりするようなツイート。

一切の「理念」抜きで「個別利益の総和」で事を進める。その主体となる共同体は「妥当なgiveとtakeが成立している」のみであり、「いかなる出自も、いかなる目的も、いかなる価値観も共有している必要はない」。

一見ニヒリズムというかマッチョというか、現実から始まり現実で終わるように見えながら、しかしこれ自体がすごい理想主義だと思いませんか。

まああれです。『風の谷のナウシカ』(コミック版)のラストでのナウシカの決断に共感してしまうような人たちとものとは、これは対極にある発想だと思いますが、しかしなんか≪反対の一致≫というか、似たようなものであるようにも感じます。なんというのかな、価値と存在の二元論を否定する、とかそんな感じですか……(われながらてきとうすぎる)。


追記 (4/2)

福島原発事故後に、こんなツイートが……。
Twitter / 佐藤亜紀: 漫画版の最後の辺りが好きだ。是非。RT @takag ...
佐藤氏もコミック版『ナウシカ』の終盤が好きなのか。
「反対の一致」どころではなかったですね……。
posted by 甲虫1 at 2011年02月12日 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月06日

フェミニズム・の・理解

リンク元(ありがとうございます)のTwitterを見ていて発見した発言。

村瀬学という人は『ガロ曼荼羅』で呉智英のことを「フェミニズムさえ理解すればすごい思想家になる」とか書いてたな。その程度じゃ全然駄目だろう、というか思考の型がフェミニズムを理解できるようにはなってないっしょ。
Twitter / ロムえもん: (rom_emon)

いや、あの、呉智英って一体どういうふうに受容されてるんだろう。彼はフェミニズムを「理解」していないと思われてるんだろうか?

呉氏ははっきりフェミニズム以降の論客でしょう? 彼にとってフェミニズムは仮想敵として≪乗り越える≫つもりの対象だったんじゃないんですかね。もちろんフェミニズムをちゃんと理解できていないということはありうるんだけど、少なくとも無知によってそうであるわけではないでしょう。

呉氏が単なる馬鹿であるのなら言及すること自体が間違いなのであって、もし呉氏の議論が有害なのであるとすればそれがフェミニズムによる批判に直面しない理屈を考え出し実践した物だからだ、ということになると思いますけれども。
posted by 甲虫1 at 2011年02月06日 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月03日

極左とリベラルが相反するのか類似するのか良くわからない件について

独裁者だから悪いんじゃなくて、悪いことしてるから悪いんだと思う。ブルジョア民主主義と権威主義的政体はその形式だけではどっちがどうというわけじゃない。
Twitter / つねちゃん:(toled)


わー、僕と反対のこと言ってる! とか一瞬おどろいた。そういえば「プロレタリア独裁」も≪良い独裁≫だよな、と。

けどこれって、現政権は独裁だからではなく親米だから批判されている、という見解(「エジプトの夜明け?新たな一頁へ|フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba エジプトの夜明け?新たな一頁へ|フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba」)と同じなんだね。

しかし、この件についてのある種の≪リベラル≫のひとたち(←遠まわしな表現)の言ってることは、ほんと目を疑う。

普段は「ゼロサムゲーム」を批判しているくせに、経済(生存)と政治の間にはゼロサムをみるわけか。ほー。みたいに思うのだ。こっから先は、いつもの愚痴になるのでやめる。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

ネトウヨ分類

これをリンクせずにいられようか。


ふむ。
女子中学生じゃないJCってなんだろう(そこか)。


以下余談。

真面目な話、ネット右翼(ネトウヨ)にもいくつかの層があるというのはときおり感じられることである。
そしてネットサヨクにも。というか、僕がちかごろ気にしているのはむしろそっち。

ちなみに僕のいうちかごろっていうのは、平気で5年とか前からだったりする。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 22:44 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

はじめにことばがあった

上野千鶴子が「「ネオ・リベ」なんかと死んでも一緒にされたくない」と言ったことがあるようなのだが……。


この発言が上野氏が「ネオリベ」でないことを証明するものだと考える人がいるとしたら(もしいるとしたらだが)、その人の言語観を疑ったほうがいいと思う。

そういえば、みずからそう名乗るものが誰もいないというだけの理由で「封建主義者」を自称した評論家もいた。そういう言葉との(ある意味で)幸福な関係を結びうるというのが、しつこいようだが団塊世代の面白いところである。
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

エジプトとかデモとか

いろいろモヤモヤすることがあるのだが、時間と能力がないので抽象的にしか書けない。



≪自由≫と≪人命尊重≫は、(自由主義と民主主義がそうであるように)相互に独立の概念であり、時に対立する。
この両者が協働する方向にもって行かなければならない、というのがわれわれの社会の理念である≪人権≫の意味だと思う。

いや、悪意からではないと思うんだけど、大規模デモという雰囲気に反発するあまり、両者を最悪の組み合わせで解釈している人が目立つような気がするので。
なんで今さら≪良い「独裁」もあるよ≫みたいなこと言われにゃならんのか?
posted by 甲虫1 at 2011年02月03日 06:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2011年02月01日

革命アレルギー

おそらくエジプト情勢について。
大衆は民主主義であろうが独裁であろうが経済が順調で生活に困らなければ何でもいいというのが実情だろうな。独裁=悪と単純に等式を立てるのはインテリ層だけ。というか、つるし上げ民主主義なんて独裁とどっこいじゃないか。
Twitter / すなふきん:(sunafukin99)



これに対する応答。
@sunafukin99 つるし上げ民主主義のほうが「流動性」があるだけまだマシでは。独裁だといちいち100万人集まったり何百人も殺されなきゃ変われないんだから。
Twitter / ナょωレよ″丶)ょぅすレナ(rna)


ちょっと感動した。
けど、よく考えたら日本はどっちなんだ、と考えて微妙な気分になる。

たしかに「何百人も殺され」たりはしていないし、それなりの「流動性」もないわけじゃない。でもなんかそれって、「100万人集ま」ること自体を阻止する仕組みだけが発達しているというのに過ぎないんじゃないかとも思う。

「開発独裁」って言葉があり、日本の体制もそれに準じるものでしかないのではないか、みたいなことが言われたりして、僕もそれにけっこう説得力を感じたりする。

革命が必要な社会は不幸かもしれないけど、その逆、革命が起こらないから幸福だ、というのは言えないと思うのだが、しかしなんか、今回≪革命アレルギー≫みたいな傾向が感じられる言説がちらほら見受けられる。これがいわゆる反動的な論者に限らない、ということが、なんだか僕は面白くない。
posted by 甲虫1 at 2011年02月01日 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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