2010年12月21日

自己決定と福祉国家

いまようやく理解したが、「就職先がなければ起業すればいい」という言説に憤る人が、13歳で性的主体になれることはすばらしいじゃないかなどと言ったら、そりゃ怒られるわ。
どっちも強者(というか、たまたま恵まれているかラッキーな者)のみが幸せになれる道なんだから。

というわけで、これは≪矛盾≫や≪一貫性のなさ≫であると考えられるが、ここに≪隠れた一貫性≫を読み取る人がいるかもしれない。福祉国家は「国民」のみに特権を与える差別的な体制だとか言う人とかはそう言いそうな気がする。
一理はあるとは思うが、しかし彼らは今の状況に責任を感じていないのかね。自分はアウトサイダーだと信じ込んでいれば、そういう責任は回避できるのか……。
posted by 甲虫1 at 2010年12月21日 06:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月20日

その後、長髪がはやらなくなる?

就職が決まると髪を切らなきゃいけない時代は、就職が決まるまでは髪が長くてもいい時代だった、ということか……。

これはどの時期から変わってくるのだろう?

【追記】(12/20 22:10ごろ)

このタイトル、ちょっと違うな……。
バブルが崩壊するまでは新卒は売り手市場なんじゃなかったか。
でも「リクルートスーツ」って言葉はリクルート事件の前にできた言葉のはずだし、それはバブルより前のことではなかったか?
あれ?
posted by 甲虫1 at 2010年12月20日 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月18日

「日本人の罪」と「反省」を巡って

これのことなのだが、ざっと読んだだけでもう読み返す気力はないのだが、僕がこれを読んで最初にひっかかったのは、左翼は反省すべき云々と書いてあるところで、それはなぜなのかといえば、前にも書いたが、80年前後の若者の感じていたらしい、お前は犯罪者だ、と言われているかのようなプレッシャーというのは、確かに一方で左翼的な帝国主議論みたいな、現代日本人は過去のアジアや現在の第三世界に対する≪罪≫を背負っているのだ、という言説に由来するものとしてイメージされるのだが実際にはそれだけではなく、それと二重写しにされた、特にサブカルチャーに関心がある若者であれば当然感じていたはずであるところの、お前たちをわれわれの社会の正式なメンバーとは認めない、という大人たちの態度――社会に対する反抗という意識を持たなかった初期全共闘が官憲に弾圧されたということによって顕在化された――でもあるはずなのであって、これもなんども言っていることだが、オタクを生んだ80年前後というのは、それら若者の背負い込まされた≪罪≫の再審を要求することなく、消費という逃げみちを与えられることによってその顕在化を回避していくという方向性が確立された時代なのであって、そしてまあ普通の観察力のあるものにとって、リフレ派やら表現規制反対などに(もちろんそれ自体の妥当性は別に判断されなければならないとはいえ)入れ込む人たちが抱える強迫観念は、まさにこの逃げ道をふさがれることに対する恐怖であるというのはあまりにも見やすいことなのだから、その「最左翼」の筆者であっても、この本来おかしなことであるはずの二重写しの罠を脱出することに大して熱心でないということをこんな風に明らかにしたからといってけっして驚くべきことではないのではあるが……。


リフレ派にはしかし、評価すべき点がある。それはそこにある≪反省≫というものに対する批判である。
財政状況が厳しいのは、単に現在不況であるからに過ぎない。それは何かへの≪罰≫ではない。そのような状況に適応しようとすればするほど事態は悪化するだろう――という。
これは極めて大事な認識であって、たとえばいわゆる転向は、そのようなどうしようもない状況でも≪前≫へ進もうとする悪あがきから発成するのだ。努力をしさえすれば良いってもんじゃないのである。
しかしこの文章は、≪左翼≫には反省を求めているわけで、まあそういう意味で、リフレ派の最良の点も生かされていない――というか、こういう意味でリフレ派的なリフレ派ってあまり見ないような気がしないでもない(単にあまり知らない/憶えていないだけなのだが)。
posted by 甲虫1 at 2010年12月18日 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月13日

誰が冒険主義者か


あの、左翼(人権派?)と表現規制反対を両立させるほぼ唯一のやり方を、この「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク:声明」はふまえていると思うんだが、これが気に入らないってのはどういうこと?

こんな≪定石≫を捨ててどんなアクロバットがしたいのか。
あ、そうか、例の「大同団結」ってやつか。
posted by 甲虫1 at 2010年12月13日 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

リベラルと「心理」

「心の底の本音の私的な思い」を放任することにおいて、下品な(ネオ)リベラリストと上品な(オールド)リベラリストは結託している。両者ともに、公的発言として出す際に飲み屋駄話や便所落書きや寝物語に篩をかけるフィルターをめぐってゲームを演じている。
Twitter / 小泉義之: 2:16 PM Dec 8th

おそらく世代的に、こういった「リベラル」な考え方を≪よりまし≫なものとして肯定的に考えるクセが、僕にはついてしまっている。

「リベラル」がしばしば≪心理的≫なものだというのは今まで気づかなかったが言われてみればそうなので、要は経験主義というか保守主義というか、既に存在してしまっているものに対して甘い考え方である場合が多い思想だとは言えると思う。自由というからにはその主体が存在しなければ意味がわからない。表現の自由だってある意味既得権の保護とも言えるわけで。

ところで「理想」というものはこの世のどの部分に属するのか、というような問いがあって、それは人間の頭の中だ、と答えてしまう人の代表が、ある種の「リベラル」ではなかろうかと思ったりする。
理想を現実と結びつける特権的な役割を果たすとされるものが「国家」であったりするので、そういうかわしかたは必要であったりはするのかなとは思うが。

――。えーっと何の話だったっけ?
posted by 甲虫1 at 2010年12月13日 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月06日

「表現の自由」の絶対性

なにしろ「自分の好きなエロマンガが有害であるはずがない」という主張で世の中を説得できるわけはない。それだけは確かだ。「エロマンガだろうが食人マンガだろうが大量虐殺マンガだろうが,表現の規制を権力が行うべきでない」という議論しか私は支持しない。
Twitter / 渡邊芳之

あわわ。僕は前にこれと正反対の表現(規制反対派は「自分の好きなエロマンガが有害であるはずがない」自分の好きなエロマンガはすばらしい*となぜ言わないんだ? 言えよ!――というような)を書いた覚えがあるんだけど……。

でも、一部の規制反対派の男性オタクが、BL作品に対しては「自粛しろ」とか「規制されて当然」的なことを平気で言っている、というような現実がある以上、こういう言い方のほうが適切なのかもしれない。
(もちろん文脈が違うので、僕が前に書いたことも間違いではない――と思う)。

しかしynabe39氏のツイートは、いつもある種の輝きを放っている。
それはたぶん、僕の観測範囲での泥沼のような論争をynabe39氏は知らないので、その論争の結果作られてしまった党派性のようなもの抜きで、そこで争われていた問題を論じることができているからだろう。
そういうことが起こる程度には、日本語のインターネットは広い、ということか。

*注【12/7 00:15ごろ】

 そうか、ここで問題になっているのは有害/無害ということだった……。
僕が前に書いたのは価値があるかないか、という問題についてなので、やはりちょっと違ってるな……。
posted by 甲虫1 at 2010年12月06日 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年12月01日

「太宰メソッド」の定義と両面性

てっきり太宰メソッドの定義は、
大きな主語に託すことで、自分の責任は回避しつつ、発言に権威や説得力をもたせようとする ・・・(ここまで以後便宜的に定義Aとする)
人間に対し、発言の主体のエゴを指摘する ・・・(ここまで以後便宜的に定義Bとする)
だと思っていたら、前半の定義Aの部分だけらしい。
ブコメでも指摘まで含めての意味だと思っている人がいるようだ。
太宰メソッドの定義が気持ち悪い 太宰メソッドの定義が気持ち悪い

おー、おんなじようなことを思ってたよ!

でも、このBのほうも、現実には逆用されうる――というか実際にされる。

≪みんな≫を楯に取って目立つ個人を抑圧することを批判するのは、個人の自由を守るリベラルな態度に見える。

でも、それは≪みんな≫のための努力や、≪みんな≫の責任において少数者を守れ、という主張をする者を批判するものとして極めて関単に転用することが可能なのだ。
たとえば「そんなにホームレスがかわいそうなら、まずあなた自身の家に彼らを受け入れたらどうか?」というような紋切型は、まさにBの意味での「太宰メソッド」と同形ではないか?

いわゆるネオリベに「リベラル」の名がついているのは伊達じゃないのである。
posted by 甲虫1 at 2010年12月01日 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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