2010年08月29日

ハトとネズミと英米と

直接関係はないが。

ここでも出てくる、ネズミやハトを狭い空間に多数で閉じ込めると殺し合いを始める、という話。おそらく内藤氏のすべての本に出てくるんだと思うけど(僕が読んだことがある内藤氏の本は『いじめの社会理論』と『学校が自由になる日』だけだけど)、なにか出典が示されたことがあるのだろうか。いじめの要因のひとつが生物学的なものかもしれないというのは重要なことのはずなのに、たとえ話みたいにとりあげていていいのか。

もちろんその要因がなんであれ「いじめは悪い」というのは大原則なのだが、いったい誰がなぜそれを大原則とするのか(しなければならないか)という点は常に問題なのだ。もちろん変なことを言うとイデオロギーだとか言われるから警戒しなくちゃいけないのはわかるけど、イデオロギーって、中立・客観を装ったもの(というか、提唱者本人でさえそう思っちゃってるもの)という定義もあるんだよね……。


あともうひとつ似たようなこと。日本以外にいじめの多い国は英・米と北欧で、それらの国では日本と同様に集団生活になじむことそれ自体が教育の目的とされている、というのも内藤氏の本で読んだと思うのだが、これは出典が示されてたかな?(単に憶えていない。すいません)。
内藤氏の議論は中間集団の全否定みたいに見えるんだけど(厳密には違う、というか多元帰属が目指されているんだろうけど……)、それがどのような社会で有効な議論なのか、ということを考える上でこの辺は重要だと思う。


いじめの直し方
いじめの直し方
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内藤 朝雄 荻上 チキ
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posted by 甲虫1 at 2010年08月29日 14:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月24日

中間報告

そういえば僕は、この一件の中心課題であるはずの歴史修正主義の話をしていない。
また、そもそもデフレの脱却の緊急度(優先度)のことも書いてはいない。

これは、僕の考える≪リフレ派問題≫の本質にはそれらはあまり関係がないと僕が思っているということなんだろう。
僕にとっては、僕のリフレ派に対する第一印象が≪ネット右翼みたい≫(当時は多分そんな言葉はなかったが)というものだった、ということが重要なのだ(不幸にしてそれは第一印象のみでは終わらなかったわけだが)。

政治をケガレとして追放することによって、僕らの時代――80年代以降の世界が始まるわけだが、いつまでも「お客さん」でいられるわけもない以上(それを望んでる人たちはいそうだけど)、もう一度それに触れないわけにはいかなくなる。そのときにどういうやり方がスタンダードでありうるのか、誰も知らないままだらだらと30年の時をわれわれは過ごしてしまったわけだし、それはまだ終わりになりそうにもないのだ。
posted by 甲虫1 at 2010年08月24日 22:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月21日

語の単純な意味におけるシバキ主義

考えてみればリフレ派が大同団結だった事なんて無かったような気がしてきた。
小野善康さえ味方につけられなかったわけだし。
で、振られたあとで、あいつは見込みがあったのに努力が足りないので外道に落ちたな、かわいそうに、みたいな捨て台詞をいうわけですよ(もちろん、努力するべきだったのは小野氏の側だったということなのである!)。こういうことは他にも何度もあったわけです。

要はこれ、政治と学問を混同しているわけですね。学者風なタテ社会の価値観――「勉強ができる」ほうが無条件に偉い。まあこれはスポーツとか芸術、あと趣味とかでもありがちですよね――を、相手の同意を取り付けねばならない政治にも適用すると。(つまり≪政治(とは意識されないが)を頑張っている者が無条件に偉い≫となる)。

要は、相手を≪他者≫だと思ってないってこと。リフレ派の奇妙な理屈(もちろん経済理論のことではない)のかなりの部分が、そこから説明できると思う。やはり≪政治≫が足りないんですよ。「リフレ派は党派じゃない」というのを、なんか良いことみたいに言ってるようじゃ駄目でしょう。

最近は変わって来ているようだと思ってたんですけど、まあたしかにここらへんはパンドラの箱ではあったってことでしょうね。
posted by 甲虫1 at 2010年08月21日 09:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月19日

ちょっとため息が……。

しかしね、わかってはいたけど、リフレ派ってのにはどうしてこう、昔たくさんいたという「勘違いしちゃった左翼青年」を彷彿とさせるようなタイプのひとたちがこんなにもいるんですか?

もちろんこんなことを言うと、今のサヨクにもダメな奴はいるじゃないか、って言われそうだし、それは正しいんだけど、僕はべつにそんな人らと「大同団結」なんかしないしな……。
posted by 甲虫1 at 2010年08月19日 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

「政治」を巡って


なんかすごいことになってますが。
個人的にはApeman氏のbewaad氏に対する評価が高いのにびっくりしたり。
(でもこの記事を読んだらそれにも納得してしまう)。

Togetter - 「リフレ推進派の金子洋一議員が、「リフレ反対派」についての印象操作的コメントをした件について」 Togetter - 「リフレ推進派の金子洋一議員が、「リフレ反対派」についての印象操作的コメントをした件について」

植民地支配も人災です - Apes! Not Monkeys! はてな別館 植民地支配も人災です - Apes! Not Monkeys! はてな別館
ブクマコメについて - Apes! Not Monkeys! はてな別館 ブクマコメについて - Apes! Not Monkeys! はてな別館

金子洋一氏に投票した件 - 児童小銃 金子洋一氏に投票した件 - 児童小銃

リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com



ところでrnaさんから前回の記事に対する応答をいただきました(しかしなんでこれだけ別記事……)。
咄嗟に補足のコメントを入れたんですが、あらためて記事本文をよく読ませていただくと、うーん、なんか話がかみ合ってないような……。

誤解されてるような気がしますが、「政治をなめるな」って僕が言うのは、べつに政治をするな(もしくはちゃんとやれ)って意味じゃないですよ。
僕がいちばん言いたかったのは、hokusyu氏の言ってることって、いわば「定石」にすぎないよね、ということです。(字面上には片鱗もありませんでしたね。すいません)。
左翼の政治運動のダメさ(ファシズムに負けたとかそういうことも含めて)を検討していけば、ああいう言いかたに当然なるんだと思うんですよ。

リフレ派とか、(僕にはその隣接分野に見える)擬似科学批判とかの人が批判対象に対してよく使うフレーズに「専門家(or学問的蓄積)に対するリスペクトが足りない」っていうのがあるじゃないですか。
じゃあ左翼の「政治」を巡るあれこれにもそのリスペクトを持ってよ、と言いたいんです。そういうときにだけ急に実感主義や情緒的な脅しを言ったり手続き無視を正当化してもらっても困る、と。

hokusyu氏は、僕にはすごくオーソドックスに見えるのに、なぜか過激な左翼ってことになってますよね。思いつきで他人を攻撃する若者よばわり。たしかによく見れば素人くさいところもありますが、しかし一方であれを「抑圧」と感じてゲリラ的抵抗を試みるいい大人がいるわけです。なんなんだそれ、といつも思っているのですが……。



リフレ派を巡る一連の話が面白いのは、なんか「攻守逆転」というか、左翼が品定めされたり裁かれたりする側から、いわば「買い手」(左翼に対する、保守とか「一般の人」とか)の側に移ってるってことです。もし仮にそれが一般的な意味で右翼や保守に属すものであったとしても(そう思っているわけではないですが)リフレ派って革命運動なのだということなのだと思います。だから先人の轍を踏まないためにも、左翼的政治の研究は必要だと思うんですが。

あと、このことは、普段は左翼に対して言われる無理難題――「もっと現実的になれ」とか「こっちの問題は無視ですか?」とか――をリフレ派が全部引き受けなきゃならん(あえて無視するとかそういう決断も含めて)ということを意味します。――でも、うーん、そう考えると「リフレ左派」って、ものすごく損なポジションですね……。



ネオリベ云々についてはまた。
ただ、昔は「リベラル」って、左翼にとって敵だったんじゃない? というのは大事だと思う。
posted by 甲虫1 at 2010年08月19日 07:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月17日

私的総括

あと、政党作れとか言われてもなー… 俺の生活なんだと思ってるんだ。そりゃテロリストにでもなるんなら、その時は死ぬって決めた時だからなんだってやるけど。
Twitter / rna
rnaさんが誠実な人だというのはみんなわかってると思うんだけど、なんというか……。

実はウチのこのブログは当初からリフレ派周辺を仮想敵にして書いてきているんだけど、最近の騒動を見ていて、僕がずっと言いたかったことをまとめられるような気がしてきたので言うと、それは、

「政治をなめるな」

の一語に尽きると思います。経済学も科学や技術なのかもしれないけど、政治もそうなんですよ。
ファシズムやスターリニズムを回避しようと、どれだけの人がさまざまな知恵や工夫を蓄積してきたか。

ところが、前にも言った反原発あたりからの社会運動って、きわめて「脱政治」的であり、さらにそれを誇るような態度をとるわけじゃないですか。リフレ派もその流れの中にある。「ネオリベ」呼ばわりされて一部のリフレ派の人は反発するようだけど、それは経済(学)的なことよりも、こういう態度のことを指していると考えるとわかりやすい。

まあこういうのは、われわれ「青いムーブメント」(外山恒一)世代の持つ悪弊なのかなあと思ったりもするわけなんですが。
rnaさんの、特にWebでの議論の作法などに対する意見には、こういう意味での「政治」に対する高い意識が感じられるだけに、その辺の総括がいっかい必要なのかもしれないな、――と思うばかりで、僕に何ができるんだろうか?
posted by 甲虫1 at 2010年08月17日 23:31 | Comment(0) | TrackBack(2) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月13日

プロテスタント型ナショナリズム

反≪政府≫ってのがポイントですかね。
こういう状況になっても≪国家≫に対する崇拝は全然弱くなってはいないようにみえるから。

政府という媒介なしに自分と国家が直接融合する、いわば≪プロテスタント・ナショナリズム≫みたいなもんが流行したってことなんでしょうかね、「この30年間」に。
posted by 甲虫1 at 2010年08月13日 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月07日

補足

あまり余裕がないのだが重要だと思うので概略だけ書いておく。

前回の記事で左翼と新左翼の混同が云々と書いた。
左翼批判というのは新左翼の特徴なのだが、「左翼批判」という行為が、世間では新左翼に対する批判を同時に意味してしまうため、自分がいわば≪隠れ新左翼≫であることを認識できないひとたちがいる、みたいな論理を僕は使ったのである。

しかしですね、あそこで問題にした「リフレ派」周辺のひとたちというのは、むしろ旧左翼的なものにシンパシーを抱いているという側面もあるのね。ただそれは、オルタナティブとして「あえて」共産党を支持するような人たちとはあまり重なり合わないので、そう見えないだけ。あえて混乱を誘うような言いかたをすると、選挙においてあえて共産党に入れるような層っていうのは、ガチな旧左翼ではないということになる(本当か?)。

で、どうなんだろうね、と思うのは、やはり日本ってナショナリズムが弱いというか、ねじれているんじゃないのかな、と思う。なんか「参加」みたいなことに関して一筋縄ではいかない。ちょっと問題は違うが、たとえば団塊の世代っていうのも謎なのであって、あれも共同体主義的なのか個人主義的なのかよくわからないひとたちなのだった(「人それぞれ」というのは無しで考えるとして)。
posted by 甲虫1 at 2010年08月07日 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年08月06日

私的概観

リフレ派がヤバいと僕がずっと前から思ってるのは、それが僕が考える≪ダメな市民運動≫の条件を満たしているからです。

その条件とは、それが以下のような主張(の連鎖)を持つような運動であるということ。

  • (1)現在、最優先で取り組まねばならない緊急の課題がある。

  • (2)それを解決するのには、副作用や政治的な対立に触れる問題がほとんどない効果的な方法があり、それは決断さえなされればすぐにでも実行可能である。

  • (3)その方法を実行するために、すべての人が小異を捨てて団結しなければならない。


この論理は「反原発」のときに(そのあとも)広瀬隆が使ったものと同じだと思うんです。
たとえば広瀬氏は、原発は電力不足を解決するために作られたわけではないと言います。現在の電力需要は非原子力の発電所ですべてまかなえるのだと。
これって要するに、原発に反対するのに≪体制変革≫は必要ない、ってことを言いたいんですね。サヨクとかウヨクとか関係ないって。原発はわれわれの社会から切りはなし可能な悪なのだから、と。

でもそれって、人にはそれぞれ立場がある、サヨクはサヨクの、ウヨクはウヨクの≪筋≫(良く言うと≪理想≫ですかね)を通すために、ぜったいに口にできないことがある、みたいな逃げ道をふさいじゃうってことです。正義の相対性を否定するということ。
自分たちに逆らうのはバカか悪人であり、それぞれ矯正され排除されなばならない、なぜなら自分たちがとりくんでいるのは抽象的・独善的でありうる≪正義≫などではなく、生身の人間の生き死にが掛かっている絶対的な問題なのだから、ということになるわけです。


もちろん、そのような論理に従うからといって、人にはそれぞれ良心ってものがあるわけだし、直ちにひどいことになるとは限らないのかもしれない。というか、すべての方面への十分な配慮を伴った変革なんてありえないので、何ごとかがなされるときにはそういう乱暴なやり方も必要なのかもしれない。もっと言えば、そもそも、どんな危険な思想であっても、実力が小さければ大した害にはならないのかもしれない。

だから、単純な善意や学問的な確信ですなおにリフレ派になった人はまあいいのですが、それがヤバいものであることを熟知しながら、あえて≪悪魔に魂を売った≫つもりの人が少数ながらいるのではないか、だとしたらそれってすごい怖いし厄介だ、と思います。

そして、そもそもそういうものがヤバいのだ、という認識があまり行き渡ってないっていうのにも驚きを感じます。というのは左翼批判をよくしている人がリフレ派名乗ってたりするわけですからね。要は、左翼と新左翼の区別をよくつけないまま、自分はサヨクの共同体主義が嫌いだからそういうヤバいものとは関係ないとか思っている人が多いってことでしょうか。≪群集≫とか≪世間≫って、バラバラな個人の集まりなんですけどね。




というわけで、僕自身もそろそろ年貢の納め時だと思うので(<どういう意味?)、前回書いたのと同趣旨のことをちょっと長めに書いてみた。相変わらず「実証が無い」(でもこれが「実証」されたらもっと怖いとも思うけど)し、ところどころ論旨がよれているのはわかってるけど、それは僕の能力の限界ということで。
あと、僕はそもそも「リフレ」という言葉を知ったころからずっとこういう認識だということは、念のため言っておきたい。
posted by 甲虫1 at 2010年08月06日 08:03 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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