2010年05月23日

隠すこと、存在すること


こういうことがあると、「作品」は「作品」であるがゆえに道義的非難を免れるという意見が執拗に出てくるのだが、どうも気になるのは、それはわれわれが日常生活で政治的見解を述べることがヤバいこととされている(でもなぜか「政局」の話はしていいんだよね。ちょっと不思議)という現実と関連があるのではないかということ。

人前でアニメやコミック、ゲームの話をするのが「イタい」行為であるとされるのと(最近はそうでもない?)、人と政治の議論をするのはダメだというのとは並行しているんじゃないだろうか。

あたりまえだが、「人前でしない」ということは、それが消滅することを意味しない。それどころか、再検証の機会が失われてどんどん強化されていく可能性もあるわけだが……。
posted by 甲虫1 at 2010年05月23日 23:23 | Comment(11) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月22日

ぼくらの世界

ピューリタン的な道徳によって人が性的に見られることから開放されることと、くだらないとされるコンテンツが表現の自由によって存在を許されること。
これらは現実的には対立するとしても、成り立ちとしては「おなじようなこと」ではないのか。
そこには以下のような緊張が欠けているのだ。
「城壁の内部においては、人々は共同の敵に対して団結し、共同の力をもっておのれが生命を護った。(…)そこでは共同が生活の基調としてそのあらゆる生活の仕方を規定した。個人を埋没しようとするこの共同が強く個人性を覚醒させ、個人の権利はその義務の半面として同じく意識の前面に立つに至った。(…)」
和辻哲郎『風土』。「柄谷行人講演「力の構造」2 - ブログのきおくそうしつ Amnesia on the Blog」より曾孫引き。
風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

  • 作者: 和辻 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1979/01
  • メディア: 文庫



posted by 甲虫1 at 2010年05月22日 08:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月20日

タイトルなし

なぜこの記事が批判されたり不思議がられたりするのかわからない。
(もちろん、こんなことをタブーをおかすかのようにいう筆者の方の感覚もわからないけど)。

「リフレは経済学の常識」っていうのは事実なのか願望なのか。

その願望を共有することが勇気だとされてるって、ちょっとアレじゃないのか。

ほんとうに大事なことだと思うなら、「常識」であるかないかはどうでもいいんじゃないのか。

デフレも放置してはまずいのかもしれないが、こういう人たちのこういう態度がデフレによって正当化されることそれ自体が危険だと思うのだが。
posted by 甲虫1 at 2010年05月20日 08:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月09日

リフレ派ってこういうもんなの?

これ、最低だと思うんだけど……。

まあマルクスあたりならこういう風に考えていたんだろうな、というのはわかる。

でも、現代日本人がこれに乗るのはどうか。


あと、これは、どちらかといえば性善説なんであって、性悪説じゃないでしょう。
「性善説」っていうのは人の「善意」を信頼するってことじゃなくて、人間は「もともと」(=性)よい性質を持ってるという考え方。だから性善論者は、そのよい性質を歪める「悪いやつ」をつねに発見してしまう。要人暗殺を企むテロリスト(もちろん空爆という手段を使っても同じ)は性善論者なんですよね(でも孟子がそういうことを考えていたかどうかはわからないけど……)。この「性」に、人間だけじゃなくて世界そのものの性質という意味を含めると現代的な性善説が出来上がるんだと思います。

そして、僕はこの種の性善説が大嫌いです。


歴史上の叛乱のほとんどは、既得権を持っていると勘違いした多数派が暴れまわったというだけのことであって、真の弱者はその犠牲になっただけなんでしょうね。
でも、僕はその叛乱の側に立つしかないと思う。そこで問われる「権利」というもの抜きにして結果オーライでは意味がないと思うから。
なんかいろんな人に怒られそうですけど、「真の弱者を思いやるエリート」みたいなものに仕切られるよりいくらかはマシなんじゃないかと思うんですけど……。
posted by 甲虫1 at 2010年05月09日 16:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月06日

ニュースだと思ったらブログ記事だった

あのー、livedoorのトップページなんですけど、いわゆる普通のニュースなんかと混じって、一般のブログの記事を転載したりしてるんですね……。
なんか、すごい危うい感じがするんですけど……。

石原慎太郎を始め、いろんな政治家などがネットのデマを信じてることがバレたりしてますけど、そりゃこんなことやってればそういう人はどんどん増えていくよなあ……。大丈夫か日本……。

【追記】 5月7日午前

記事を提供しているブログの一覧があった。なんかおなじみのブログがたくさんありますね……。
あと政治家のブログも、各党ひととおりそろってるのかな?
一応バランスは考えてあるみたいだけど……。

うーん、社説やコラムと同じだと考えればいいのかなー。
それとお金は出ているんだろうかというのも気になるし。
posted by 甲虫1 at 2010年05月06日 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2010年05月05日

日本の楽しくない職場

うーん、これどうなの?

ヒマなときにゲームとか卓球してるとかいっけん楽しそうだけど、それって同僚と仲良くするっていうまた別のスキルを要求されるってことでもあるわけじゃない?
日本以外でいじめの多いのは英米と北欧で、それらの国では(日本と同様に)学校は集団生活を学ぶ場所だという考えが支配的である、という話を聞いたことがあるけど、「職場は楽しくあらねばならない」というのには、どうもそれを思い起こさせられる。

上司の指示が不合理だったら意見を言うっていうのも、逆に言えばそれなりの責任を引き受けるってことだよね。
もちろん、日本では上司のダメな指示に従ったことによる悪い結果を部下が引き受けさせられるのが普通だ、というのだったらそれには断固抵抗すべきだけど、そういう現実があるんだろうか?



何が言いたいのかといえば、この記事で語られていることが示しているのは、会社で働いてる人間はみんな「仲間」だってアメリカ人が思っているということなんじゃないかと。

そう思われがちなのとは逆に、日本社会というのは共同体が強くはないのだということは、昔から人類学者なんかは指摘してきたみたいなんだけど、たとえば上司と部下や同僚が互いに敵同士だという前提に立てば日本的な職場環境って「正しい」んじゃないの?

日本ってさ、表面的には保守的なんだけど、その裏にある論理はすごいラジカルというかニヒルなものがあるわけじゃない? 決してそれがよいことだとは思わないけど、ただそうなっているのには理由があるし、改善しようと思えばそれを土台にするしかない。なにより(情けないことだけど)、僕の人格はそのなかで育ってしまっているのだし。
posted by 甲虫1 at 2010年05月05日 21:52 | Comment(6) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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