2009年10月29日

無題(2009・10・29)

左翼の優位は《世界はすでに失敗している》ということを知っていることにある。
いまこの瞬間に人が死んだり苦しんだりしており、それを止める有効な手段はないということは、左翼にとって単なる日常なのである。
posted by 甲虫1 at 2009年10月29日 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月26日

山田悠介ふたたび

こんなのあるんだ……。

意図はわかるけど、本文はまだまだ研鑚の余地があるのではないか。
例文のインパクトには遠く及ばない。

ちなみに下は、このブログでもっともアクセスのある記事。
完全に他人のふんどしですが。


【追記 10/27】あー、またやっちまった。このアンサイクロペディアの項目はずっと前からあるし、僕も読んだはずだったのに忘れてた……。
でも、ここで引用されている例文はすごい。山田悠介の文体の問題が語彙や文法だけではなく、イメージと時間に係わるのだということがよくわかる。



リアル鬼ごっこ

リアル鬼ごっこ

  • 作者: 山田 悠介
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 単行本



posted by 甲虫1 at 2009年10月26日 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月24日

フラ語とはなにか

きのう、このブクマページを見て、フランス語を「フラ語」とする略し方があること、それを知ってるひとと知らないひとのギャップがけっこうある、ということを知った。そして今朝、新聞の一面下を見るとこんな本の広告が!

フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!

フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!

  • 作者: 清岡 智比古
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 単行本


ていうか、ほかにもいっぱい出てるんじゃん!

著者の 清岡智比古には、こんな著書もあるんだな。ふーん。


東京詩 藤村から宇多田まで

東京詩 藤村から宇多田まで

  • 作者: 清岡 智比古
  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2009/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



【追記 16:07】ちなみに、冒頭のリンク先で問題になってる「動ポモ」というのはこれ。


動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

  • 作者: 東 浩紀
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 新書



英語版はこれ。「フラ語」版はよくわからず。


Otaku: Japan's Database Animals

Otaku: Japan's Database Animals

  • 作者: Hiroki Azuma
  • 出版社/メーカー: Univ of Minnesota Pr
  • 発売日: 2009/04/10
  • メディア: ペーパーバック



タグ:フラ語 言葉
posted by 甲虫1 at 2009年10月24日 08:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月23日

主権者のいないはなし

むかし、どっかで呉智英が、《「人民による人民のための人民の政治」というけど、このなかで「人民の」は要らないんじゃないか》というようなことを言っていて、そのときは「?」と思った。呉氏は別に天皇バンザイの人じゃないだろう、と。けど、これ、今ならわかる。

「自由民主主義」という中の、「民主主義」は要らない、と言っているのだ。「自由主義」だけあればいいと。

これが何を意味するか、という話は省く。青い鳥はそこにずっといて、しかもロクなもんじゃなかった、というのは最近明らかになってきていると思う。
でもそれは、これが思想や意見というより、一つの現実だったということなのだ。
ていうか、いまでもそうなのか。
posted by 甲虫1 at 2009年10月23日 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月18日

無限責任とか

ちょっと時間が経ってしまったけど。

前回の記事(甲虫ブログ: 法と無法と社会)にブクマコメントをいただいた。
Apeman 「そこが最大の問題なんだと思う」 いや、何もしないですませるための口実でしょ 2009/10/08
はてなブックマーク - Apemanのブックマーク - 2009年10月8日
全否定はひどいと思い、反論を書こうとがんばってみたのだが、あんまりなタイトルの記事をはてなで書いた人がいるということを知り(内容は読んでない)、バカバカしくなったので止める。

目に見える敵とは戦いやすいんだろうけど、敵はそういうわかりやすい《お父さん》(《お母さん》?)だけではないと思うのだがどうか。

しかしなぜこんなことでもめるのかといえば(暴力による排外主義に対する批判という方向性が同じであるというのが本当だとして)、いわゆる新自由主義(この語でいいのか自信がないが)的なルール――問題を政治が事前に調整するのではなく、それが起こったあとに法で裁き、その判例を意識してみんなが行動すればOKという――が行き渡っているからだろう。もちろんそのおかげでわれわれは多くの自由を手にしたわけだけど、そういう世界では、自分が「悪意」(不都合を《知りながら》そうした、ということ)を持っていたということは致命傷になる。

そんな中で、人は世界のあらゆることに責任があるなどと言われたら、やはり納得がいかないのではないか。われわれはいつまで謝り続けなければならないのでしょうか、とかそういう気分になってくるのかもしれない。

「普通」の人が「普通」であることによって得る最大のものが、せいぜい《好意的な無視》に過ぎないのであれば、落ちこぼれたり傷ついたりして《救急》的に助けられる人をうらやむ声は無くならない。すべての人間が《個別の被害者》でしかないのだったら、多数のほうが少数より優先されて当然だというのは正しいことになるのだから。

――見返すとちょっと飛躍と矛盾の多い文だが、いちおうアップしておく。要は、この件はこの辺まで視点を後ろにずらさないといけない問題だと思うし、そうすることに価値はあると思う。
posted by 甲虫1 at 2009年10月18日 22:41 | Comment(14) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月07日

法と無法と社会

D_Amon メタァ id:yellowbellさん、いじめの場合なら(A)いじめを周囲が止める社会(B)いじめを放置する社会(C)いじめが法規制される社会ではAが望ましいと思います。Bは論外。CはAが無理な場合のやむをえない選択ですが逆用されるリスクあり 2009/10/07
[はてなブックマーク - 亜門ブックマーク]
あからさまにいうと、このAの「いじめを周囲が止める」というのがもうひとつのいじめ――要するにリンチ――ではないのか? という声があり、そこが最大の問題なんだと思う。
前回と同じ話だな、これ。
posted by 甲虫1 at 2009年10月07日 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年10月04日

ループ。

群集心理に駆られて行われる暴力やつるし上げは確かに醜いし悲惨なんだけど、それを批判して言われる、内省しろだの他人に頼るなだの自分の足許をよく見ろだのそういうお前は○○じゃないかだのというのは、群集が攻撃対象に向けるのと同じ言葉であるわけなのだった。
これは解っている人は前から解っているのだろうけど、僕は今さっきようやく気づいた。

ところが現実というのは複雑で、その解ってる人がまだ解ってない人に向けて、内省しろだの他人に頼るなだの自分の足許をよく見ろだのそういうお前こそリンチをする群集と同じだだのと言い募る場面というのも決して珍しくはないような気がするのだった。

だからなんだ、とはまだ考えれないけど、とりあえずメモ。
posted by 甲虫1 at 2009年10月04日 23:09 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。