2009年05月31日

時勢論

昔からなんとなく思っていて、だんだんそういう感覚が強くなってくるんだけど、「歴史修正主義批判」のようなスタイルって、そんなに普遍性が無いんじゃないのかな。

「新書一冊読め」とか妖怪がどうした(「どっちもどっち」とか「戦略が悪い」とか)とか、「ちゃんと専門家をリスペクトしろ」とかね。これって他の分野では、保守的な人がけっこう使う発想とか言葉なんじゃないかと。

いわゆるネット右翼がかつての左翼青年と発想やスタイルを共有している(無知を恥じないとか、性急に価値判断や党派性だけで押し切ろうとしたりとか)ということが、歴史修正主義批判の今の議論の仕方を生み出しているという面もあるかもしれない。

というか、ネット右翼とか歴史修正主義者がタチが悪すぎて(ていうか、レベルが低い)、それに対抗するために保守と左翼の連合がなされているのが今の状況なんだろう。

でも、これが長く続くことは無いんじゃないかな。
posted by 甲虫1 at 2009年05月31日 22:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

一流と二流

優れた思想は「なぜ」と問う。
ダメな思想は「○○すべし」と命じる。

そしてこの文章は後者。
posted by 甲虫1 at 2009年05月31日 09:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月30日

「暴力」の定位

全体の趣旨には同意。特にこの辺。
英国からの指摘を受け、性暴力ゲームやポルノアニメに対しての批判は、男たちや、男たちが牛耳っている現行の性差別に溢れかえった日本のマスコミも行うでしょう。

それは、一見、暴力への批判のように見えます。

しかし、男の暴力に寛容な性規範の擁護者たちが、男の暴力を問題視しているというのは、信憑性が疑わしくはないでしょうか。

二次元ポルノ映像作品の暴力を批判したい本当の理由は、作品が暴力的だという点ではなく、二次元のアニメである点ではないかと勘ぐってしまいます。

「男なら男らしく、生身のオンナとヤれ」

みせかけの批判ポイントは、暴力がわるい、ということ。

ほんとうの批判ポイントは、二次元がきもい、ということ。

つまり、性暴力反対を装って、ヲタク差別をしたいだけではないのかと
フェミニズム=敵としか思わない人に読ませたいです。
だけど全体を読むと、これではSM的欲望(表現)が全否定されることになるのではないかとも思う。僕の気のせいなら問題ないけど。
参照:
女性のレイプファンタジーについて――ただし、自分のために - ビジネスから1000000光年
posted by 甲虫1 at 2009年05月30日 09:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月29日

独語

法について
――そういえば、交通事故を起こしてしまったときは絶対に謝っちゃだめだ、って言うよね……。
まあ、そんならそれでいいか。
posted by 甲虫1 at 2009年05月29日 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月28日

手紙

『青いムーブメント』 チャンスがあったら読みます
でも僕は 外山氏にはあまり関心がない
(そういう意味でおっしゃったのではないというのはわかっていますが)
でもPCが嫌いでスガ秀実に影響も受けるとは なんか無節操なような
というか 実はスガ氏自身が普通の意味でのPCをバカにしているのかも
でも外山氏のサイトを見ていると 氏の考えとは別に
マルクス主義のうさんくささとか 感じないわけにはいかない
それは倫理なのか科学なのか ブッシュはマルクス主義だとか
そりゃあ観測者と観測対象を同一視すればそうなるだろう 唯物論の神秘
実際のところ ファシズムがどうしたとか
倫理とかそういうことだけを考えたら そういうところに行き着くのは当然
下部構造を考えるのが左翼 だったら東浩紀も左翼ですね
でもそうじゃない マルクス主義が特別におかしいんですね
八五年に断絶する 政治が存在しなくなる
土台がトッピングになる それがポストモダン
そんなことあるはずないと 浅田彰などは言うはず
文脈を無視した継承 それはトッピングだから
土台自体が目的になる ありふれたディストピア
でも今がそれ 倫理で楔を打ち込むとか
できるはずないというか それもやばい
どちらもやばい でもなんか
限界がきている 裁判員とか
なんというか 輸血で保ってきたのに
原料がもうない 手作りするか輸入するか
そうか憲法九条 固まっていないゼリーの
器を外す 今がそのときかも
posted by 甲虫1 at 2009年05月28日 22:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

ブクマの系譜学

*末尾に追記アリ
はてなブックマーク - 自由と平等 - 児童小銃に対するメタブクマ。;
rna >id:flurry 煽りにマジレス(しかも肝心なとこはスルーしてる…)にマジレスするけど、マジでこういう増え方するの自分のエントリでは見たことない。グラフ見比べても明らかに違うし。 2009/05/28

はてなブックマーク - 児童拳銃 - rna のブックマーク
あれ?
horai551さんがブクマしたからでしょ?
それではてな極左(笑)とその敵対者(これも(笑))にバレたという。

けっきょくrnaさんの元記事が、政治(倫理)の話なのか経済の話なのか法の話なのかわからないし、一般論なのか俺はこう思うと言ってるのかわからないので、rnaさんの愛読者はコメントできなかったけど、後から来た人はrnaさんがどんな人かは興味ないので、躊躇なく政治の問題――いわゆる「自己否定」(「“白人男性”は自己批判すべき」とか)に対する批判(「ミーイズム」ですかね)――と読んだ、ってことでしょ?

*ちょっと違いましたね。すでに指摘があるけどhokusyu氏のブクマ(5/26)以降にみんなブクマし始めてる。でも読まれる文脈を作ったのはhorai551さんで、ブクマ数があるていど伸びたあとに、ようやくそれ以外の視点からも検討されている、という感じですね。(18:22ごろ)
posted by 甲虫1 at 2009年05月28日 09:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月27日

85年まで

外山氏の八五年のはなし ざっと読みました
そう言われてみれば あれは断絶ですねたしかに
外山氏はあれを 名前がないのでという理由で
「青いムーブメント」と名づけるわけですが 別にそれに異論はありませんが
それってたしか他のジャンルでは セカンド・サマー・オヴ・ラヴとか
言われていたような気もしますが そんなことよりこれは
運動史に偏ってるような気はして 内ゲバが運動の断絶を生んでいるという指摘も
ちょっとそれだけでは弱いかなと それよりはむしろ
反核運動の話が面白くて そもそもなんで日本には
吉本隆明みたいな人がいるのかと 彼は昔から活動してますが
考えてみれば一般に支持されたのは このときからなんですね
外山氏は吉本好きなんですね 華青闘告発にも否定的みたいで
ちょっと意外かも でもいずれにせよ
八五年ごろに 断絶が起きるためには
その根は70年代になければならず そうでなければ
政治そのものがダサイとか およそ考えられないはずで 
華青闘告発 自己否定
考えてみれば外山氏は 文学の話をしていない
自己否定をさらに否定すること どこか空虚なエゴイズム
ってこれはまさに 外山氏自身のことだし
なんだ基本的にみんなこれか でも我々世代のもつ
弾圧に対する怒り 恐怖
意見表明に対する恐れ そうするとあれですか
まだ八五年は来ていないということか ではそれはいつ来るのだろう
posted by 甲虫1 at 2009年05月27日 22:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

例のゲームのはなし(8)ようやくマトモな議論が……。

あー。
ようやくマトモな議論が……。
まだ途中なのであれだけど、tikani_nemuru_M氏はえらい。

この件に対しての僕の主な関心は、法律じゃない束縛をどう見るかということになって来た。ある行為が「法律に違反してない」からといって、道徳その他の非難を受けてはならないということはないし、逆も同じ。
でも、現実的には、法律に違反するかしないかが、道徳的その他の非難を受けていいか悪いかの基準になっている。

――なんか、変な話だが、たとえば「道徳裁判」みたいなのがあってもいいんじゃないか? とか考えてしまった。もちろん、被告には弁明の機会がしっかり与えられねばならない。(欧米では現実にそういう役割をはたすものがたくさんあるんだろうなと思う)。権威による一方的な攻撃と、勝者は正しい、やったもん勝ち、という原理しかない状況は、かなりひどいと思う。
posted by 甲虫1 at 2009年05月27日 15:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月24日

「与党精神」の私的な用法について

甲虫ブログ: ひとりごと」へのブックマークコメント。
horai551 サブカル保守 あからさまに喧嘩を売られてしまった。どうしよう… 2009/05/24
はてなブックマーク - horai551 のブックマーク
いや、そういうつもりじゃないです。
というか、浅羽ナントカさん(の用語なんですよね、「与党精神」って)の本は読んだこともないし。

前から書こうと思ってたんですけど、僕は呉智英先生の石子順批判って、ぜんぜん良くないと思っているんですよ。

呉氏は石子氏をペテン師とか言うわけじゃないですか。でも、ああいう道徳的規準で作品を評価しちゃう人ってのは、絶対にいなくならない。石子氏一人を排除したって無駄なんです。

あそこで呉氏がしなければならなかったのは、1)芸術を道徳で判断してはならないと説得力のある説明をすること 2)石子氏の背景にある“民青的”思想を思想として批判すること の二つだったわけですが、彼はどっちもやってない。

――何が言いたいのかといえば、彼はあのとき“政権”を取りに行かなければならなかったと僕は思っているわけです。ところが彼は変な相対主義と個人攻撃で流してしまった。僕はいまだにそれが祟っていると思っています(直接の影響とかそういうことではなく、象徴的にですが)。

今回のアダルトゲームの話でもそうで、ああいうゲームはすばらしい、という奴が誰もいないのはなぜですか。なんで表現の自由はくだらないものにこそ適用されるものだ、とかヌルいこと言ってんのか。俺の楽しんでるゲームを犯罪とはなにごとか、って、何で言わないんですか。挙句、俺たちの方がマイノリティだ、ですよ。佐藤亜紀の言ってることが不快でないのはなぜか、ってDryadさんが言ってますが、そりゃ、あっちの方がまっとうだから、としか言えんですよ。

僕が「与党精神」と言ったのはそういうことで、たとえば歴史修正主義批判は“与党”なんですよ、僕にとっては。

(なんか、四半世紀分の荷をようやく降ろせた……)。
posted by 甲虫1 at 2009年05月24日 21:37 | Comment(7) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

謎の同調者

こ、これは……。

コメント欄に「ホモフォビアの域を超えている気もします」と言ってる人がいるように、こういう人はLGBT関係に限らず、どこにでも現れる。

《一見するとゲイフレンドリーに見えるような言葉を連ねつつも、結果的にはセクマイの声を高圧的に封じるような[…]議論展開》、《大抵の場合、どこかで聞きかじったようなジャーゴンを(文脈もその言葉の本来的な意味も無視して)無闇に振り回しているだけだったり、しばしば「お前らが弱者だなんて誰が決めた!オレこそが真の弱者だ!」という謎のポジション争いに終始していたり》する態度……。
その人たちは、いかなる形であれ、自分が「差別」に加担しているかもしれないと考えることが、嫌なのだ。自分が、思いもよらない形で、無意識的に「抑圧者」の側に位置しているかもしれないという、その可能性を認めることが不快でたまらないのだ。

おそらく彼ら/彼女らは、自らの人間性や良識が否定されたと感じて怒っているわけではない。

彼ら/彼女らの自己イメージ――一定のリテラシーを備え、現代批評シーンに精通し、ジャーゴンを使いこなし、したがってあらゆる多様性を受け入れるだけの知性を備えているはずの「わたし」という自己イメージ――が否定されたこと、すなわち自らの知性を否定されたと感じて、憤っているのだ。
知性派ホモフォビア - As a Rainbow
なるほど。自分が加害者側でありうるということに耐えられないし、それを何とかする柔軟さを自分が持っているということを信じたくて、目の前にいる生身の当事者(その人が救う差別しないはずだった)を攻撃する……。

始末に悪いのは、こういう人はしばしば実際に頭が良くて有能だったりすること。その人のプライドを傷つけさえしなければ(あなたにも解らないこともある、と本当のことを言いさえしなければ)、結構フレンドリーに付き合えたり、有益なことを教えてもらえたりする。でも、そういういい関係が長く続けば続くほど、逆切れされたときのショックが大きくなる……。

でも、なんか、自分もどっかで似たようなことをやってそうな気がしてくるし、“そういう人”と間違って認知されてひどい目に遇ったりする人もいそうな気もするな……。
posted by 甲虫1 at 2009年05月24日 17:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

ひとりごと

うーん、どうも僕がむかつくのは、いわゆる「与党精神の欠如」というやつに対してなんだな。

もちろん、誰にそれを求めるのか、というのが僕のバイアスなんだろうけど……。
posted by 甲虫1 at 2009年05月24日 09:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月22日

それ自身としての自由

直接には、「「自由」のまえにまず「平等」。「自由」のためにもまず「平等」。」(contractio氏)という言葉に対する応答なのだが(「甲虫ブログ: 例のゲームのはなし(7)自由と平等の対立」も参照)、しかしこれは煽りなのか、それともrnaさんがついに本気を出した、ということなのか(個人的には、非常にタイムリーなような気もする――ブログ論壇的に)。
でもなにか、全体として見るとちぐはぐな印象を受ける。だいたい、「自由と平等どっちが基本か」というが、それを「基本」と定める主体が文中でどんどんスライドして行ってない? そして、
最貧国の子供を見殺しにして野良猫を保護する自由。最貧国の子供を見殺しにしてエロ本を買う自由。最貧国の子供を見殺しにしてスイーツを食べる自由。最貧国の子供を見殺しにして自分の子供に綺麗な服を着せる自由。そういう自由を僕は肯定する。
自由と平等 - 児童小銃


僕はこの文章からこれを連想した。
ドゥルーズによると、ヒュームの考えの大きな特徴は、人間の本性(自然)を、利己的(エゴイズム)ではなく、「制限された寛容」として見出したことにある。
『経験論と主体性』メモ・その1 - Arisanのノート
「制限された寛容」とは「「偏愛」というようなこと」なのだという。
なんというか、遠くの人間より近くの猫、というのが、なにか“空白”のようなものを連想させる「自由」より、この「偏り」なるものにむしろ近いのではと思ったのだ。

あと、ここでrnaさんの言っている「自由」って端的に“お金”のことなんじゃないかという気もする。そういえばヒュームとアダム・スミスは友達だったらしいし……。

例のゲームの話って、なんかほとんど裁判みたいな発想(有罪か無罪かという感じ)で語られることが多いような気がする。要は国家のような裁定者を前提としている。
そうでなかったらどうなる、ということなんだろうけど……。

あ、あと、このへんも思い出した。

構造と力―記号論を超えて
浅田 彰
勁草書房
売り上げランキング: 9995

逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)
浅田 彰
筑摩書房
売り上げランキング: 18600

posted by 甲虫1 at 2009年05月22日 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月19日

例のゲームのはなし(7)自由と平等の対立

rna 政治, 思想 それ以前に自由ってなんだってところで齟齬があるんだと思う。自由は「民主主義的な政治過程の議論」の手段じゃなくて目的だと僕は言い切るけどそうじゃない人は左右問わず結構いるみたいだし。 2009/05/19

contractio 「自由」のまえにまず「平等」。「自由」のためにもまず「平等」。 2009/05/19

はてなブックマーク - いしけってあそぶ日々 - isikeriasobi - はてなハイク

えーっと、このお二方はコンビなんですか? 

でも「それ以前に自由ってなんだってところで齟齬がある」っていうのは、たしかにすごいわかりますね。
なんかインターネット的「自由」とフェミニズムとかの反差別系思想とが衝突しているという感じですか。

このあいだ、「マイノリティであることと実際にひどい目に遭う[かどうか]ということはイコールではない」と書きましたが、どうもそのへんがインターネット的「自由」主義者があまり考えてくれない所なんじゃないかと(敢えて無視している? でもそういう人は少数でしょう)。それこそ、スタート地点が「平等」ではない、という問題なんですが。

ずっと前、未成年の深夜外出を禁止する条例が出来たとき、それに怒ってる東浩紀氏に対して、女の子はそんな条例が無くても危険で深夜外出なんかできないんだけど? と反論した“女子高生”の人がいたことを、今回の件で思い出しました。

まとまらないけど、とりあえずネタだけ出しとこう。
posted by 甲虫1 at 2009年05月19日 22:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月18日

例のゲームのはなし(6)スクラップ

罵りあうだけでは「エロは規制されました。女性差別についてはなんにも変わりません。うるさい人は嫌ですね」という結論になってお終いなんである。それでは、女性差別的表現を内容とするエロゲーが必要であったり求められていたりする社会にメスは入らない。うるさい黙れと叫ぶたびに、規制も女性差別も上手いこと利用しようとする人たちに塩を送っているのではないかと俺は思う。
心過剰の差別理解・差別の文化 - U´Å`U
昨日のはまずかったかな、と思う。しかし、そもそも世の中がより良いものになるようにしようという動機は、だれが、なぜ持つのか、ということはある。
どういうたらええかわからんけど、「キモい」とか「不愉快」とか言うて相手に喧嘩売りながら同時に「キミの表現の自由は保証しますけど」って言うのって、首尾一貫してないっていうか、弱腰っていうか、きれいごとやんか。で、「社会的に決められる」っていうのが必ずしもファシズムや無秩序におちいるわけではないことがある程度信頼できるなら、社会的に決めていくことにそんなに弱腰になったり臆病になったりする必要はないんちゃうかっていう話やんか。
sociologbook | めちゃめちゃびっくりした。
ゾーニングの話をいきなりしだす人がいるが、? と思う。それは不快なら見なければよい、という理屈なんだろうか。それって人を馬鹿にしてないか。
ただ売るためにのみ人倫に悖る表現をデータ化し、しかもそれが国家に馴致された結果なら、それは覚悟とかいう個人的な観念の話にしかならんだろう。「要は、勇気がないんでしょ?」的な。佐藤亜紀が言った「地下に潜るべき」とはそういう話ではないし、わからない話でもない。アフガニスタンの農業従事者が麻薬を栽培しないと食い詰めることはわかるが、肉体を売らないと国の家族を食わせられない人のことも知っているが、ところで日本はいちおう先進国と思う。私もまた立場上こういうことを言う筋合があると思うので言っている。
少年は荒野をめざす - 地を這う難破船
いつもに増して難解なのだが(難しいのは考えというより現実のほうなのかもしれないが)、都合のいいところを引用しておく。
posted by 甲虫1 at 2009年05月18日 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月17日

例のゲームのはなし(5)「社会」について

こないだ書いた「ルールとモラル(3)」を、そのなかで取り上げたブログで言及していただいている。
[前略](俺が思うに怒らなくちゃいけない相手は甲虫ブログさんが言うように中心をずらして報道しているメディアと、「ほら、怒っている人もいますよ、法規制しなくちゃ!」という連中なのであって、文句を言い出した人たちではない。)[以下略]
例のゲームの件について2・あんまりにも長いので自分でも驚いた。  - U´Å`U
あの件は規制に賛成か反対かとか、あのようなゲームの存在を許容できるか否かみたいなところで語られることが多かったため、「多数派(世間)」という第3の存在を出してきたのが珍しかったのだろうと思う。

しかしそのような点に注目したブログ記事は他にもある。「ある図書館戦争 - 地を這う難破船」がそう。「市場」とか「資本主義」と呼ばれているけど、これも多数派のこと。

あと、佐藤亜紀氏の「2009.5.14: 日記」に触れておきたい。

これには、「官憲には徹底した弾圧を望む」などと書いてあるので法規制賛成の文章だと思っちゃって本気で切れてる人さえいるのだが、いやしくも作家がよい意味で「弾圧」とか書くだろうか。この単語には常に“不当な”というまくらことばが付くものと相場が決まっていると思う。これは基本的には後輩に対するハッパというやつだろう。

もちろん、それにしても安易だとは言えるかもしれない。でも、これはぶっちゃけた話だけど、存在自体が肯定されてないというか、“自分がなにを言ったってどうせ誰も本気で聞いてくれない”と信じて生きてる人をマイノリティといって、「女性」というのはそのなかでいちばん数が多い。そして、佐藤氏もそのなかに属する。

他人を傷つけることを肯定的に描くイメージを堂々と(今回の件ではここは争われる点だとは思うけど)示しておいて“表現の自由”とか開き直られたら、そういう人がどう思うかというサンプルに、佐藤氏のこの記事はなっているのだと思う。

もちろん、マイノリティであることと実際にひどい目に遭うということはイコールではないし、マイノリティの“言葉にできない願望”を権力が勝手に汲み取って好き勝手する、というのが昨今の状況だというのはわかるが、そこでマイノリティ叩きを始めるのは違うと思う。

さらに、アダルトゲームを必要とする人こそがマイノリティだ、みたいな言い方のほうが普通だったりして(そりゃ、そうには違いないけど……)ちょっと困惑する。

社会全体にバイアスが掛かっていること、というか、「社会」というものが存在し、それに認められるかられないかで運命が変わってくるということがそんなに理解しにくいか? と思うのだが、新自由主義っていうのがこういう世界を作ることを目的としていた、ということになるんだろうな、やっぱり。

■「社会」ということで言えば、こういう一見過激な意見もある。関係ない話だが、このブログも含めて、一部の関西の人の社会に対する考え方は、独特のものがあるような気がする……。
posted by 甲虫1 at 2009年05月17日 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月15日

アイデンティティと飯の種

ガミラスは沖縄で、イスカンダルはニライカナイ - 不平文士の飲酒日記」に対するブックマークコメント。
horai551 佐藤優現象, 日本 そして「対新自由主義戦争」へ… 2009/05/15
はてなブックマーク - horai551 のブックマーク
いちおう、(一番のネタ元であるところの)松尾匡氏は、「この図式は国際的にもあてはまる」と書いてますが……(「市民派リベラルのどこが越えられるべきか」)。

そもそも「アイデンティティの政治」というものには40年分もの蓄積があるので、誰でもあれこれの遺恨とか因縁みたいなものを持っているものだと考えておいたほうがいいと思う(これは理論的=運動論的に)。
そんな地雷原をかき回すより、なにか共闘のネタを探すほうがいいと思うのだが……。

【追記】なんか、寝た子を起こすな、みたいに取れる書き方をしてしまったような気がするので。
アイデンティティが再帰的なものである以上、次にとる行動こそが、それを規定するんじゃないか、ということ。それが「共闘」ではないかと思うのだが。(23:40)
posted by 甲虫1 at 2009年05月15日 22:33 | Comment(6) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

例のゲームのはなし(4)

*リンク直しました(22:45ごろ)
CrowClaw 捻じれてるのは元々の規制論が官憲ではなく市民派団体から出てきたことだ。今やビッグブラザーの時代はとうに過ぎ去り隣のおねえさんやおばさんこそが最強の権力者。だから個人が法の枠内で自己防衛を図る必要が出る 2009/05/14
はてなブックマーク - CrowClawのブックマーク
buyobuyo あたまがわるい, 死ねばいいのに 問題の何たるかがそもそも理解できないバカが語るんじゃねー。結局は教育問題と一緒でお前みたいな居酒屋評論家が議論の邪魔なんだよ! 2009/05/14
はてなブックマーク - ブックマーク【ツンデレ】捨身成仁 - 2009年5月14日

作家・佐藤亜紀のブログの記事「2009.5.14: 日記 何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。」に対するブックマーク。

なんというか、唖然とした。

このあいだ書いたけど、こんなこと、たとえば永井豪は40年前からずっと悩んでるわけじゃない? それが「捻じれてるのは」で「問題の何たるかがそもそも理解できないバカ」ですよ。他のもっと素朴な人たちがいうのならわかるんだけど……。

この件に関しては、「ある図書館戦争 - 地を這う難破船」が、「資本主義」という第三項(第四項?)を出していて参考になる。
posted by 甲虫1 at 2009年05月15日 14:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月13日

ルールとモラル(3)

いや、「あわせて読みたい」が役に立ったのは初めてぐらいではなかろうか。
二回ぐらい取り上げた(「ルールとモラル」、「例のゲームのはなし」)、日本のアダルトゲームが海外の人権団体に抗議を受けた件。
この「U´Å`U」(これがブログのタイトル)の記事も、抗議を表現の自由の侵害だとする反応を疑問視している。

この記事が興味深い点は、抗議を批判する論理が、ヘイトスピーチの論理と同じようなものになっていないか、と問うているところ。

これは、明示的な「法」に触れなければなにをやってもよいという「自由」が、弱者の自己防衛ではなく強者の弱者に対する攻撃の擁護になってしまっているのではないか、という指摘だ。

これってけっこう難しい話で、昔は“「法」に触れなければなにをやってもよい”という原則は大して尊重されておらず、「世間」が個人に対して私的な制裁をし放題だったので、それに対して「世間」の掟は「法」ではないと強調することが大事なことだったわけだが、その論理が現在では、法によっては守られない尊厳を踏みにじるのに使われることになってしまっているわけである。

ただ、これを単なる反転とは考えるべきでない理由はある。今回のゲームだって、人権団体がさほど強調しているわけではない「児童ポルノ」云々を中心にした報道が日本ではなされてる。つまり男性中心主義批判という射程を持つはずの抗議が、小児性愛者という少数派に対する攻撃という、多数派(「世間」)に都合よいものに置き換えられているのだ。

これはまさに分割統治というものだ。ポルノの持つ男性中心主義を批判することとポルノを楽しむ自由を擁護することとは、多数派の恣意から身を守るという点では同じであるはずなのだから。両者は常に矛盾するというわけではないのだ。

だとすれば、この問題について議論することは、共闘のためのひとつのチャンスであるはずだ。というか、そうなってほしいと思う。
タグ:自由
posted by 甲虫1 at 2009年05月13日 21:53 | Comment(1) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月11日

ニュー新左翼

T/O (<つかってみたかった)。

でも、もうこういう人たちは存在するよね。これからどうなるのかわからないけど……。
posted by 甲虫1 at 2009年05月11日 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

例のゲームのはなし

書いたひとかっこいーっていうのと、返答されてるコメントがあらゆるタイプのものが網羅されてて、いっしゅ標本箱的に面白い。
posted by 甲虫1 at 2009年05月11日 20:24 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。