2009年02月24日

殻と背骨

精神の背骨が自分の内にある人は一本足の蛸になれない - 一本足の蛸」より。:
同様の比喩表現には、たとえば「自分の殻に籠もる」というものもある。[中略‐引用者]「背骨」と「殻」を並べてみると、どうも前者がよいもので後者が悪いものだという含みがもとからあって、それが比喩表現に反映されているような気がするのだ。そこに何か釈然としない、もやもやとしたものを感じるのだが、それは一体何なのか、はっきりと述べることが難しい*1。
;いや、べつに難しくないでしょう。こちらからアプローチしないと反応が期待できない「殻」より、何もしなくても自分で勝手にこちらの望むことをやってくれそうな「背骨」のほうが、だれにとっても望ましいということです。

問題は、強い立場にあるはずの教師や管理職(雇い主)が、しばしばそれを望むということ。

そして、もう一つの問題は、これが彼らの未熟さ(まだ生徒・学生や、部下・被雇用者の気分から抜け切れていない)に由来するのか、それともこれがもともとの彼らの性質なのか、ということなのですが……。
posted by 甲虫1 at 2009年02月24日 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月22日

コラムニストは人工無能。

いろいろ書くべきことはあるのだけれど難しいので、なぜか書きやすい呉智英先生のことを書く。

ずっと昔に取り上げた、「呉智英の妄言とノストラダムス解読法! 」(2008-06-11の記事)に新たにコメントがついたことを、筆者の放蕩息子氏が記事にしている(「ずいぶん昔のエントリーに突然 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。」。

そのコメント欄で、長大な議論が交わされている。ブログ主を批判し呉智英氏を擁護する書き込みをする人(約二名)をみんなで説得しようとするのだが、当人たちは頑として受け付けないのである。

まあ、ありがちな光景ではあるんだけど、ただ気になるのは、この混乱の原因のひとつが、呉智英氏の元記事(「【私の正名論】評論家・呉智英 言葉の誤読による糾弾 - MSN産経ニュース」)の書かれかたにあるのではないかということ。

前にも指摘したけど、このコラムで言われている「北海道旧土人保護法」云々の話は呉氏の古くからの“持ちネタ”の一つなのであって(「呉智英、再び - Living, Loving, Thinking」参照)、朝日新聞の社説を見た呉氏がそれについて反論するために考えたことではぜんぜんないのである。

このネタの使いまわしのために、文章の中の論理がおかしくなっているのではないか。呉氏の一連の産経のコラムは、ほとんどがそういうものだと思う。あれは一種のコラージュなのであって、いわば生身の人間の書いたものではないのである。そんなものをまともに擁護したり批判したりなどできるはずがない。

堂堂巡りの議論を眺めていてそう思ったしだいである。



(ところで、僕がなぜそれに気づいたのかと言えば、この「甲虫ブログ」の記事の何割かは、そういう書かれかたをしているからである――
――ホントか?)
タグ:呉智英
posted by 甲虫1 at 2009年02月22日 18:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月11日

今日もリンクだけ。

「天皇制」と「(元)登校拒否」……。
posted by 甲虫1 at 2009年02月11日 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月08日

今日のリンク

はてなブックマーク - テンノーゲームの「沈黙」」経由。

それまでの断片のまとめらしい。

すごくいいところまで行ってると思うのだが、しかし……。
posted by 甲虫1 at 2009年02月08日 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月04日

政治がなくなる話

自由主義は、「非・政治化」するから問題なのではなく、そもそも「非・政治化」できないのである。「政治」はいずれにせよあるにも関わらず、それがあたかも無いように行われることが問題なのだ。
「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去
ってゆっかですね、いわゆる「ニューアカ」だの「ポモ」だのの人たち(これを書かれたかたは嫌いみたいですけど)って、こういうことばっか言ってるって印象があるですよ、僕には。
なのにそれを熟知しているはずの東さんがなんで……と思うのだけれど。

【おまけ】批評の書き方 実践編 - 東浩紀の渦状言論 はてな避難版」に対するブクマコメント。
じっさい初期東浩紀と関連付けなければ今の東さんに興味が持てない僕などは、こんなことを言われてどうすればいいのやら……。(「こんなこと」って、東さんの文章のこと。念のため)。
posted by 甲虫1 at 2009年02月04日 21:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月03日

「ブロガー」って誰のこと?

僕は「ブロガー」なのだろうか?

僕は調査や研究をしているわけでもないし、特別な知識や経験をもっているわけでもない。僕が書いていることは、僕がたまたま知っていたり、感じたりしたことだけだ。ここに何か書くために何かを調べたり参考にしたりすることはできるだけ避けようとさえ僕は思っているのだ。

僕がブログという形態を選んだのは、掲示板やコメントなどで、問題になっていることについて適切な内容を適切なタイミングで書き込む、ということが自分にできないことを知っているからにすぎない。僕がここでやっているのは、せいぜいスレの立て逃げみたいなことなのだ。

だから、幸運にもなにかここから有意義なアイデアがみつかったとしたら、それを展開することは、ぜひ君自身がやってほしい。このブログは君に弾薬を提供しないし、君を守る楯にもならないのだ。
タグ:ブログ
posted by 甲虫1 at 2009年02月03日 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年02月01日

村上春樹と柄谷行人

僕の疑問は、村上春樹と柄谷行人は本当に対立するのか、ということ。
だって、両方好きだって人がいるじゃん。
東浩紀とか、法月綸太郎とか。(まあ東は今はアレだろうけど……)。
posted by 甲虫1 at 2009年02月01日 22:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

アニメは誰の作品か問題(首藤剛志「シナリオえーだば創作術」)

ブログ書く人 - 森永博雄のハッピー日記」で紹介されていたもの。僕がこのあいだの記事でうっかり「ブログ主氏はリンク張らない主義なの?」などと書いてしまったところ、筆者の森永さんがそれを気にしてわざわざ記事にリンクを追加してくださった(どうも、余計なこと言ってすいません)。
なので、これは読まなければ、と思って読んだのだが、これは長い! 上でリンクした目次をみると、もう三年以上も連載が続いているじゃないか!

で、途中までしか読んでいないのだが、首藤氏が『まんがはじめて物語』の脚本を書いていたとか(そう言われてみれば、お姉さんのキャラがなかなか独特だったような気もする)、いろいろ知らなかったことも書いてあって興味深い。

僕が読んだ範囲でいちばん面白いというか重要だと思ったのは、アニメ製作(制作? アニメ界では独特の使い分けがあったような……)における脚本家――および主に脚本家が務める“シリーズ構成”という仕事――の立ち位置問題。首藤氏は、勝手に脚本を変えられた経験から、初めてシリーズ構成を務めた『ゴーショーグン』からはアフレコに立ち会うようにした(“出口を押さえる”という意味で)、という。
作品はいったい誰のものか(原作者・プロデューサー・演出家・脚本家の関係はどのようなものか)、ということが焦点になってきたのが80年前後のアニメブーム期の問題だったというのがよくわかる。

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posted by 甲虫1 at 2009年02月01日 10:31 | Comment(1) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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