2009年01月29日

今日の「お気に入り」。

流し読み。
うーん……。東浩紀氏のするような議論って、こういう感覚でされているというわけか……。

■シンポジウムでの浅田彰氏の態度がひどかったらしい(2009-01-29 - 東京永久観光シンポジウムいきますた - 言葉の垂れ流し)。
なんなんだろ、あの人は。

こういうの大好きなんだけど、ちゃんと見れない(心の余裕が……)。
あと、後者のブログ主氏はリンク張らない主義なの?

■以上、忘れないために。
posted by 甲虫1 at 2009年01月29日 22:45 | Comment(2) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月23日

はてサもいろいろ。

はてサって誰のことを指し手いるのか、良く判らん。
[中略‐引用者]
でも、思想的には随分違うんじゃないかという気がするし。ちなみにApemanさんは本人が左翼といっているから左翼だろうけど、俺は保守派の人かと思っていたよ。
Twitter / lakehill: はてサって誰のことを指し手いるのか、良く判らん。常野 ...
僕はApemanさんが保守派だと思ったことはありませんが、いわゆる昔風の「リベラル」なのであって、厳密には左翼というのはあたらないのではないかと思っています。

また、“自分はどちらかといえば保守だけど”と言いながらはてサと同調する人も多いところを見ると、やはり「はてなサヨク」というのは「ネット右翼」と対になる存在で、特に実体の無いものではないのかと思うしだいです。

あたりまえのことしか書いてませんが、冒頭の引用が紹介したかったということで。
タグ:左翼 はてな
posted by 甲虫1 at 2009年01月23日 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月21日

非社会性という「救い」

  1. はてなブックマーク - 弱者を変えた冷徹な合理性 “障害者団体”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3):日経ビジネスオンライン
  2. 強い国を作った「人を切らない」思想:日経ビジネスオンライン
  3. 直に心を動かすこととその更に先に行くこと - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
昨日から、この辺のことをいろいろ考えていて、非常につらい。

「1.」のブコメで雄弁に語る人たちが「2.」についてはスルーする。

「3.」は「2.」の一部分に対する感想。

「人を切らない」というのは、良いことのように見える。
そしてわれわれの社会は、その真逆をやってきた。
それが多くの悲惨を今も生み出しつつあるのは事実だろう。

しかし、そこにはある種の「倫理」がなかったか――というようなこと。

小さい国土を大きく使うには、“関係しない”というやり方しかなかったのではないか、ということ。

[なんか、これって“転向”ですかね。]
タグ:ひきこもり
posted by 甲虫1 at 2009年01月21日 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月17日

「留保なき生の肯定」、あるいは「落ち度」と「結果責任」

■僕はアクセス解析大好きなので(得意げに言うなよ……)、リンク元を探っていると、「留保のない生の肯定とは - はてなキーワード」からアクセスがあったことがわかった。
見に行ってみると、うちのブログの引用とリンクが。
[前略‐引用者]元が何かは分からない。

デカルトともセットで使われる。
これとかヒントになるかもしれないが、読んでない。
これを読んで、なぜ「留保なき○○の肯定」という揶揄がデカルトと関係があるのか理解できたし

http://coleopteran.seesaa.net/archives/200710-1.html
……。「読んでない」って……。この件に関しては、僕も引用されている記事(上の引用ではなぜか一ヶ月分のページにリンクしてあるが……)を書いた時点で多くのことを忘れていたように思う。が、今回ブラウザの“お気に入り”を覗いてみると、関連の記事が登録されていたので、それを頼りににいろいろ調べてみた。どうも2005年の年末から翌2006年の年初にかけて起こった論争で浮上してきたキーワードらしいが、当事者のお一人がブログを閉じてしまっているので全貌がいまいちわからない(当時読んだような気がするけど……)。とりあえず重要だと思われる、
留保のない生を肯定するか、さもなければ - モジモジ君の日記。みたいな。
および、
"先に経済学ありきではない" - REVの日記 @はてな
にリンクを張って、キーワードの筆者であるactivecute氏にトラバを送っておくことにしてみる。

■実は、この議論って、わりと簡単な図式で説明できると思う。

つまり「《法》の論理」と「《政治》の論理」の対立。

法の論理とは、プラスマイナス0から出発して、“罪”や“過失”といった“落ち度”によって減点されていくという発想。

それに対して、政治の論理――“政治”はあまり上手い言葉ではないけど、“経営”とか“統治”とか、「うまくやっていく」というようなことを意味する――では、結果責任が問われる。落ち度があろうがなかろうが、最終的な結果(目的や目標が達成されたかどうか)だけが意味をもつという発想。

「留保のない生の肯定」にいらだつ人は、「《法》の論理」で考えている。
つまり、あらかじめ十分に注意深く在れば“落ち度”は避けられるはずだし、避けられないことを“落ち度”と呼ぶのはフェアではない。それを問うのは「魔女裁判」だ、というのである。

しかし、フェアであろうがなかろうが、世の中には許されないことや守らねばならないものが存在する。全員が落ち度なく法を守って暮らせば悪いことは何も起こらないというわけではない。そこに“政治”や“倫理”の問題が出てくるのである。

この件はもっと展開できるだろうが、体力的にこのへんが限界なのでここまでにしておきたい。

■このあいだ加野瀬氏の記事の感想を書いたら(「団塊ジュニアは反日か?」)「荷宮和子氏は検討に値する言動をしているとはとても思ってない」云々というブクマコメントを頂いた
それにあまり異存はないのだけれど、ただ、僕がたまたま荷宮氏から学んだことがあって、それは、女性は結果責任を押しつけられて生きている、ということだ。

そこから荷宮氏は、落ち度さえなければ「無罪」であるような男性に同情する義理は女性にはないというような話をするわけで、こういうとなにか無茶苦茶なようだけど、実際「《法》の論理」を使ってかなりヤバい主張が「冷静に」なされていることを考えると、あながち見るところのない意見ばかりとも思えないのだった。

こっちの件は、また加野瀬氏がみつけてくれることを期待して、トラバなどは送らないことにする。
posted by 甲虫1 at 2009年01月17日 22:50 | Comment(1) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月16日

男脳?

一目見て、あ、これ聞いたことある、と思った。これ。この話で面白いと思ったのは、胎児期に男性ホルモンの一種にさらされると人差し指が短くなる、ということ。それが成人後の性格などに影響するかはともかく、このことだけは事実のようなのだ。

つまり、人間の生まれつきの体(脳も含む)の特徴というのは、遺伝子だけでは決まらないということだ。知ってる人にはあたりまえの話だろうけど、こうやってはっきり示されるとちょっと驚く。
タグ:遺伝子
posted by 甲虫1 at 2009年01月16日 21:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月08日

自由と真理のパラドックス

今ごろ気づいたのだが、Dryadさんが言ってること(「「表現の自由」と「言論以外」からヘイトスピーチ問題を論じてみる」や「「政治的であること」が圧殺する(かもしれない)もの」)というのは、前に僕がここ(「よし、もう一周。」)で書いたことと、同じようなことなのだった。

これは、左翼の振りかざす「正しさ」が初期オタクカルチャーにとって脅威だったという実感を、僕と(Dryadさんが依拠する)東浩紀氏がたぶん共有している、ということに起因していると思われる(世代的なもんですね)。

でも僕は、Dryadさんと違って「マジョリティの「正義」でマイノリティを圧殺してるだけの結果になりはしないだろうか」とは言わないし言えない。では、それはなぜか。

一つには、僕には“はてなサヨク”がマジョリティーであるとはぜんぜん見えないということがある。一応「サヨク」などと呼ばれているけど、彼らの中で左翼運動に関わっている人はそんなに多くないと思う。ではなぜサヨクと呼ばれたり名乗ったりするのかといえば、それは、彼らがネット右翼やネオリベ君たちに対するカウンターだからだろう。それはあくまで“反応”であって、なにか積極的な運動ではない。

もう一つ、こっちの方が重要なことなんだけど、今回の東批判の主題は「歴史修正主義」なんだけど、それに関連する問題として科学哲学問題がある。これは、科学的真理というのはなんなのか、それにいかにして到達できるのか、という問題。東氏が叩かれたのは、そんな「真理」など無い、と受け取れるような発言をしてしまったこと。

問題になっているのは、実は古典的な「自由」のパラドックスではないかと思う。ルールが強いときには、あたかも全ての抑圧がルールから発生するように見えてしまう。では、そこから自由になればどうか。誰もがルールのない世界で好き放題できるとなれば、今度は弱肉強食の世界が待っている。必要なのは、ルールを「無くす」のではなく、それを開かれたものにしていくことだ(この「ルール」は「真理」や「正義」といった言葉に置き換えることができるだろう)。そのためには、やはり「言論」が必要なのだ、と僕は考えるし、東氏を批判していた人の多くもそう考えているのではないかと思う。

――なにか結構がついてない気がするが、とりあえずこんなところ。
posted by 甲虫1 at 2009年01月08日 23:18 | Comment(8) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月06日

単なるメモ

■前回の記事(「公共性と「日本」」)のコメント欄で、KTさんが言った「船上パーティ」というのはこれのことですね。あー、これ秋葉原事件についての記事だったんだ。この筆者のRomanceさんは、むしろホームレス問題のイメージが強いので(「差別問題としてのホームレス問題」など)、僕はそちらと混同してたかもしれません。
■Dryadさんが、新しい記事を書かれてるんですが(「「政治的であること」が圧殺する(かもしれない)もの - 24-Hour Survival」)……。なんか、わりと典型的な誤解(?)ですよね。
■しかし、僕は今まで追う立場(?)だったのが、今回追われる立場になったような気が……(自意識過剰?)。なんかすごいあせるけど、変なことを書いてもいけないので、今回はメモだけ。
posted by 甲虫1 at 2009年01月06日 23:53 | Comment(5) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月03日

公共性と「日本」

このブログの「新しい年とナショナリズム」という記事に、「歴史修正主義/ナショナリズム批判と公共性 - 24-Hour Survival」からトラックバックをいただいた(ありがとうございます)。

――のだが、筆者のDryadさんと僕とは、立場が正反対なんですよね。僕は“そんなこと言ってると東浩紀みたいになっちまうぞ!”と言いたいわけですよ、一部のブックマーカーに対して。

これについていろいろ書こうと思ったのですが、ぐずぐずしているうちにApemanさんのブコメが。
あー、僕にはもう言うことは何もありません。

でもちょっと付け加えておくと、前にもちょっと書いたけど、東浩紀氏が日本の特異性をどう考えているのか(というか、肯定してるんだよね、前にフランス行ったときのことを書いてたから)ということは気になる。

今の日本がかなり特殊な情勢なのは、たとえばここでも言われているとおり。ただ僕は、それは近年のことというより、柄谷行人氏のように戦国末期からの流れで見たいところではあるんだけど。

で、このことって、普遍(世界)/特殊(日本)という軸で考えるべきではなくて、社会というものがもともと持っているある種の相が、日本で極端な形で現れていると考えるべきだと思う。これは日本の思想家的にはチャンスだし、それに東氏も乗っていると思うんだけど、その生かしかたの方向性がどうも……。
posted by 甲虫1 at 2009年01月03日 21:22 | Comment(13) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年01月02日

新年。

あけましておめでとうございます

――と書きたくないばっかりに、昨日は投稿ができませんでした。いやはや。
■紅白は見ました。なぜか審査員に姜尚中氏がいて(ほんとになぜだ)、そのコメントが、なんというか、がんばってると思った。ブログで書いているかたがおられるので、孫引きする。
「歌の力で仕事から溢れてゐる人や生活に困つてゐる人が少しでも元気になつてくれれば良いと思ひます」
2008-12-31 - 富柏村日剰 香港日記
ちなみに「溢れる」は「あぶれる」と読む。こんな単語、久しぶりに聞いた。
■Apeman氏からトラバをいただいた(――のに、メールが来ないよ! そういう設定にしてあるのに……)。
応答するかしないか、するとしたらこの記事でするか新しく立てるかでまた悩む。どうも僕は「形式」に弱いですね。はぁ。
タグ:日記
posted by 甲虫1 at 2009年01月02日 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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