2008年12月30日

新しい年とナショナリズム


「>ナショナリズムが排外的な性格を強めていく危険性を押さえるためにも、ナショナリズムを活用しなくてはならない」(萱野稔人氏)という言葉を肯定的に紹介し、「同胞皆同じというナショナルな平等主義があるからこそ格差を何とかしなくちゃと思うわけで」とつづけるブログ記事と、それに反感を示すブクマコメント……。

これって、前に書いたこと(「革命家選別所」「総転向。」)と関係する問題。

これまたややこしんだけど、たとえば東浩紀氏は萱野氏のこういう意見に違和感を示すわけでしょう?
ところが東氏の南京事件に対する態度を批判する人が、萱野氏(およびそれに賛同するhamachan氏)に対しても批判を向ける。それってどうなの?
つまり、「南京大虐殺は無かった」とか言っちゃう人がうろうろごろごろしていることを許すことと、移民とかホームレスのような、「われわれ」とは違っているとされる人たちがひどい目にあっても平気でいられることとが、同じ問題の表れに見える人と、単に別の問題に見えてる人がいるってこと?

ほんとにこれはややこしい。この30年ほどの「ラジカル」な思想って、結局「ネオリベ」的なものを呼び込むことにしかならなかったと思う。でもそこから抜け出るときの「作法」みたいなものがわからない。
「狼が来るぞ」と言うやつが不当にも狼扱いされたり、逆にほんとに狼だったり、ということが、これからしばらく続くのかもしれない。
posted by 甲虫1 at 2008年12月30日 23:27 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月28日

団塊ジュニアは反日か?

団塊ジュニアは反日なんだよ!というあまりにあまりな世界観が面白過ぎる。破壊力抜群だわー。GHQがサヨク洗脳とか言ってるけど、GHQがレッドパージしたこととかないことになってなさそうなのが素晴らしい。どういう歴史観なんだろう…?
平成女子図鑑の面白コメントピックアップ - ARTIFACT@ハテナ系
これ、いろんな意味で重要だと思う。

まず、筆者の加野瀬氏は「どういう歴史観なんだろう…?」と驚いて見せているけど、僕にはむしろそのことのほうが驚きだ。
「GHQがサヨク洗脳」というのは戦後民主主義批判(反日教組)の保守派・右派の思考の大前提になっているのだから。
人は自分が生きた時代のことでさえまるっきり誤解していることがあり、これはその最も顕著な例なのだ。
しかもこれは、「左翼」であれ脱「左翼」であれ団塊世代のかなりの部分も誤解していることなんじゃないだろうか?

あと、団塊ジュニア(および、その親である団塊世代=全共闘世代)が「反日」つまり左翼なのかどうか、ってことなんだけど、これについては荷宮和子さんという評論家がいましてですね、この人は、団塊世代と団塊ジュニアを共に保守的であるとして――つまり、左翼的でも戦後民主主義的でもないとして――激しく批判しているわけですよ。
考えてみれば全共闘って戦後民主主義に対する批判なので(少なくとも意識的にはそう)、いわゆるガチサヨから見れば、むしろ「右翼」だということになってもぜんぜんおかしくない。

要するに、事態は二重三重にツイストしているわけで、無知なまんまで右翼的な思考にはまってしまった困った人がたくさんいる、とかいって笑っているわけにはいかないんですね。

それにしても、左翼には右翼といわれ右翼には左翼と言われる団塊と団塊ジュニアっていったい何者で、どこから来てどこへ行くんでしょうか。
まあ、後者には僕も含まれるかもしれないけど、たまたま親が団塊じゃないのでよくわからんのですよね……。
posted by 甲虫1 at 2008年12月28日 21:40 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月27日

日本と力

柄谷行人の講演の聴講者のノート。
柄谷はほぼ同内容のことをよそでもしゃべったり書いたりしているが、よくまとめられているのはよい。

僕が思ったのは、このような日本の特殊性についての考察は柄谷の重要な主題のひとつなのに、なぜ彼に強い影響を受けているはずの東浩紀がそれをああまで無視しているのか、ということだ。

あと、この講演自体のことだが、あいかわらず浅田彰(司会者だったらしい)が突っ込み役みたいになってるのはどうかと思う。実は浅田の思想の方が今の社会状況を考えるとヤバいものであるように僕には思えるからだ。これはだれか検証してほしいところなんだけど……。
posted by 甲虫1 at 2008年12月27日 23:20 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月23日

来年なんて来なければいいのに!

http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2552261/3631978

「新年到来に抗議」って、すごいよね。見習うべきだと思う。

そういえばジョン・レノンが勲章を返上したときの理由がシングル(アルバムだったかな)が一位にならなかったことに対する抗議だったという話を聞いたことがある。もちろんただの口実だろうけど……。

ちなみにこの団体は、すくなくとも2006年の年末から活動してるみたいですね(公式サイトそのはてブ)。三度目の正直で今年こそ勝利を勝ち取ってほしいものです。
posted by 甲虫1 at 2008年12月23日 21:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月20日

主体からの離脱

例の東浩紀氏の“歴史認識問題”が意外なところに飛び火してきたようだ。ちなみに田中希生氏のブログには前に何回かリンクを張ったことさえあったが、はてなから引っ越されたあたりから読まなくなってしまっていた。

■ところで、上記のリンク先と田中氏の文章を読んで思ったのだが、この一連の騒動にあえて意味を読み取ろうとするのならば――つまり、日本のポストモダニストは大衆迎合のヘタレだ、とか言って済まさず(それはそれで正しいのかもしれないが)、その言わんとするところを汲み取って歴史修正主義批判に対する反論として組み立て直すとすれば――キーワードは「ナショナリズム」と「当事者問題」だということになるだろう。つまり人を「主体」として仕立て上げようとする力への批判である。

もちろん、今のわれわれの社会の権力は「主体」や「ナショナリズム」をかならずしも必要としないタイプの物だ(たとえばよく言われるように、人種主義は国民の統合を阻むように働くこともある)、ということを考えに入れる必要があるわけだが。
posted by 甲虫1 at 2008年12月20日 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

ブログが見えなくなってました(12/19 12:35−12/20 2:00)

そういえばbogusnewsもSeesaaだったんですね。
19日の12:35から20日の2:00というから半日以上見れなかったことになるわけです。
ちょっと驚いたのは、So-net blogも同じところのサーバーを使っていたということ。ひげたまさんのところも見えなくなってたんで、もしやと思ったんですが。でもこれって、かなり危険なことじゃないんでしょうか。もっと本格的な火事だったら、ものすごくたくさんの人の長時間かけて書いた文章が、すべてパーになっていたわけですから……。
posted by 甲虫1 at 2008年12月20日 22:22 | Comment(4) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月18日

総転向。

メモしとこう。どうも、また「潮目」が変わりつつあるらしい。というか、ここ1、2年の流れが「完成」しつつあるというべきか。「ケインジアンへの総転向が始まっている」そうです(でもなんか先生、はしゃいでませんか?)。

これは「きまぐれな日々 新自由主義のあとにくるもの 〜 国家社会主義を阻止せよ」などで言われている「国家社会主義」の台頭と同じようなものだろう。

でもね、これに抵抗するのは難しい。「プロセス」に抵抗するって、一体どうすればいいのだろう。
posted by 甲虫1 at 2008年12月18日 22:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月16日

リベってなによ問題

「リベラル」ってなによ、ってことになろう、問題は。

●それを「共同体主義」と対立させる人もいる。「ソーシャル」と対立させる人も。ようするにそれらは「おせっかい」といいかえれる。でもこの二つの印象って、だいぶ違うのね。なぜ?

●それは「権利」とか「契約」の話だろう、とかも思う。そして実は「人権」っていうのは「権利ではない権利」であり、云々(「みなし」ってやつですな)。

●そうなんだって。つまり、彼らが怖がるのは「ヤクザ」なんだよ。存在の暴力。

――まだいくつか書けそうな気がするな。まぁ思いついたら。
で、わからんのは、こういういこと――

●こういうのって、語源的・術語的な「リベラル」とは、ぜんぜん関係なくね?
posted by 甲虫1 at 2008年12月16日 23:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月13日

はてなサヨクVS.東浩紀?

【第三者によるまとめ】
東浩紀は自重すべき - raurublock on Hatena
【その後の当事者による証言】
《さらにその後の証言【12/16 22:15ごろ追加】》
えーっと、この件そのものもそうですが、コメント欄やブックマークコメントでの議論が真っ二つに分かれてるのが面白いと思いました。
ていうか、一昨日、昨日と二分法について考えているのでそこに目が行くのかもしれませんが。

東氏やその同調者は、大学とはまずなにより授業をするところであり、それが妨げられるのはよくない、ということを強調します。つまり、すでにある具体的な組織や契約が優先される。

それに対して今回の乱入者(乱入できなかったようですが)とその支持者は、そのつど行われる約束や、偶発的に起こる出来事に対して何が正当なのかを適切に考え実行することが大切だと思っているわけです。

で、この両派は、ほとんどそのままはてな内の「ネオリベ」と「左翼」にみごとに一致している。ほんとにみごと。

でもそうなると、東氏は「ネオリベ」になっちゃうんですけど……。
しかも良く考えたら彼の立場は一貫しているんじゃないだろうか……。

今回東氏を支持している人で「はてなサヨク」叩きが目的でそうしている人はともかく、昔から東氏の著作を読んできている人は、そもそもなんのために氏の本を読んでいるのだろうか?

いや、僕はもうわからなくなってきちゃいました。
posted by 甲虫1 at 2008年12月13日 22:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月12日

AとB

おお、ちょうどいいタイミングで! 最後の捨て台詞は余計だと思うが(こんなこと言えば社会的・政治的活動はほとんど否定されてしまう)。
きれいな二分法だが、もうひとひねり欲しいような。

タグ:労働
posted by 甲虫1 at 2008年12月12日 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月11日

革命家選別所

二つの過激思想。どちらもある種の人たちにとってはお花畑か許しがたい悪だろうが、しかし。
  1. ホームレスがホームレスのままで幸福である社会を!
  2. 今すぐ全てのホームレスに家と職とを与えよ!
――どちらが体制的/革命的なのか。どちらのほうが「現実的」か。そして私はどちらを選ぶのか。
posted by 甲虫1 at 2008年12月11日 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月10日

よし、もう一周。

あー、やっぱりこういう話になっちゃうのか……。
Apeman氏もオタク第一世代と同世代でしたよね、確か……。

東浩紀を擁護する気はないけど、僕は「ディテール」のほうには行けない。

というか、歴史修正主義って、自分の都合のよい「ディテール」をかき集めてニセモノの「真実」を作っちゃうことじゃないですか。
だったらすべてのディテールを否定して――っていうのも、それもまた歴史修正主義に有利に働くというのはわかるんだけど(というか、今回東氏のやってることがそれですね)。

最近、音楽理論のことをちょこっと書いてますが(中身が無くてすいませんが)、ロックとかオタクとか、サブカルチャーですね、そういう世界では「ディテール」ばっかが語られて「理論」を抑圧だとして否定するわけです(まあ、実際に理論を持ち出す奴はたいてい抑圧者なんでそれでいいとは言えるんですが、ただ、それが内ゲバの道具になっちゃうんですよね……)。

東浩紀が新鮮だったのは、その意味で「ディテール」を切り捨てる力があったからなんですね。「政治」を持ち込んだわけです。それまで、文学者や思想家がサブカルチャーについて語ったとしても、さっき言った抑圧か「俺だってディテールがわかってるんだぜ」という自慢でしかなかった。
彼がグダグダになったからといって(初めからグダグダかもしれませんが、それこそディテールがわかってる人がフォローすればよかった)、そこを否定するわけにはいかないんですよ。


posted by 甲虫1 at 2008年12月10日 23:07 | Comment(8) | TrackBack(2) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月07日

制外者の思想?

[前略―引用者]ある問題系にたいしてとりうるスタンスの中で、一番つまらないものを選び続けているという点において稀有だと思う。吉本隆明は本当に酷いことをしたよね(´・ω・`) 2008/12/07
はてなブックマーク - hokusyuのブックマーク
あるドゥルーズ派のブックマーカーへの批判なのだが、なぜか吉本隆明が持ち出されている。

自分が前に書いた記事(甲虫ブログ: 雑記)を読み直していて、吉本派の有名ブロガーと哲学者の小泉義之(たしかドゥルーズ派)が同じようなことを言っているのに気づいて驚いたが、両者は似ている、ということでいいのだろうか?

そういえば、ドゥルーズに強い影響を受けている蓮實重彦は、吉本隆明を独自に(つまり吉本の「弟子」になるという形ではないやりかたで)高く評価していたのだった。


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posted by 甲虫1 at 2008年12月07日 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月06日

単純労働と「能力」

話題のブログ記事「才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い - コトリコ」に対するアンサー。正しい
というか、ほんとは元記事が書かれた時点での最初の反応がコレでなきゃおかしいでしょ。
「才能」が“無くてもいいが有ったらうれしい”みたいな扱いだったらいいけど、逆に“有って当然で無いとダメ”ってことになると、どんどん苦しくなってくるわけで。

ただ、「僕がやらないとみんな死んじゃうんだよ!」みたいな職業やら状況は確かにあるので、そこは区別しなければならない。“「似たようなもの」が同時に複数ある”ということを考えるべき、というのが、僕がポモ系の議論から学んだいちばん大事なことだと思っている。

【追記】
なんか変だと思ったのだが、どうも僕は元記事(才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い - コトリコ)をちゃんと読んでおらず、それへの反応を念頭に置いて(特に前者)、「最初の反応がコレでなきゃおかしい」などと言っていたようである。元記事の視点はここで問題にしていることとは微妙に違うような気もするので、追記しておく。(12/7 22:20ごろ)
posted by 甲虫1 at 2008年12月06日 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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