2008年04月30日

オタクの原風景

きょう昼のワイドショーでこの関連のことをやっていて、なんともいえない気分になったので、ちょっと書いてみる。

これはまさに「組織が豊かで、人は貧しい」というのを地で行く光景だと思った(ただしこちらは金銭的な問題だけではないが)。
ブクマでもその点を強調している人がいるが、「警察や行政」がなぜあたりまえのように商店街の人とまじって「地元有志」の中に入っているのだろうか。

一方で、規制されるコスプレイヤー(?)の側も、ちょっとナイーブすぎるような気がした。
ナイーブというかなんというか - 黒的九月の死亡遊戯で長野の聖火リレーに絡めて日大全共闘の話がでてくるのだけど、僕はこれがオタクというものの原点だとまえから思っている。

なんというか「なにも悪いことしてない」ということが積極的に評価されるべき、と思い込んでるというのか――。結局それは裏切られざるをえないわけで、オタクが体制迎合と反体制の両極端をいったりきたりしがちなのは、そのせいだと思う。

けっきょく、日本には「社会」が無い、という結論になってしまうのだけど、それを生み出すのにはもっと血を見るような事がなければならないような気もして、どっちにしろ憂鬱なことに変わりはない。

タグ:オタク
posted by 甲虫1 at 2008年04月30日 22:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月29日

組織の外にあるもの

日本は人が貧しい - 萌え理論Blog
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080424/p2

たしかに日本は豊かですが、それは「組織が豊かで、人は貧しい」のではないでしょうか。組織が勝ち、人は負ける。
ここで言われている「人」は、「社会」に置き換えてもいいのではないかと思った。

参照:
タグ:社会
posted by 甲虫1 at 2008年04月29日 16:42 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月24日

つづき

この前のつづき。;
自分のための備忘録 - Apes! Not Monkeys!

・一審、二審の無期懲役判決に対して被告人は控訴・上告しておらず、それゆえ下級審段階とは主張を変えることを事実上強いたのは控訴・上告した検察および高裁に差し戻した最高裁であるにもかかわらず、下級審段階の主張を覆したことが非であるかのような判決が下ったこと。

やはり、この「カフカ的あるいはスターリンジョーク的としかかいいようない状況」(上記リンクのコメント欄、N・B氏)が焦点だろう。
「モンスター」に人間らしい反省を要求するのはおかしいだろ - Apes! Not Monkeys!も参照。

また、も、ほぼ同趣旨か。
posted by 甲虫1 at 2008年04月24日 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月22日

無題

やっぱりこの事件(裁判)のポイントはここだろうか。
posted by 甲虫1 at 2008年04月22日 22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月16日

「政治」のポジション

たびたびですいませんが、切れ味がよくて引用しやすいので。
性的嗜好への弾圧は政治思想への弾圧よりも罪が軽い、というような基準は俺は採用しません。あくまで同じ問題として扱います。ピンクチラシ規制もやっぱり表現の自由の問題だ。一段軽く扱われるようなものではない。

2008-04-16 - NaokiTakahashiの日記
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080416#p1
いや、単純に「性的嗜好への弾圧」は政治の問題ですよね。

「政治」は基本的に上位に来るべきであるはずです。なぜならそれはすべてのことに関わってくるのだから。こういう言いかたがいろんな意味で「危険」なのはわかってますが……。しかしこれをなんとなく否定してしまっていることによって、いろいろややこしいことになりすぎてるのが今の状況なわけで……。
タグ:自由
posted by 甲虫1 at 2008年04月16日 22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月12日

自由は誰が作るか

訂正や補足ばかりで恐縮だけどいちおう書いておくと、この前の記事で書いた「上映を中止するのがいちばん安上がり(コストが低い)」というのは、映画を上映する映画館の館主ではなく、脅迫者の暴力を未然に防ぐための努力をしなければならない公共にとってそうであるという意味である。

社会全体の正義や幸福の実現と個人の利益とを同時に実現しようという自由主義の理想が、個人が「空気読む」ことで実現化されている(かのように見せられている)情況があるような気がする。なのでそれを「アジア的自由主義」と呼んでみたというわけなのだが……。

また訂正か補足が必要になるかもだけど、大体こんなところ。
タグ:自由
posted by 甲虫1 at 2008年04月12日 20:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年04月06日

アジア的自由主義

映画『靖国』上映中止云々についてちょっと。

自由ってものには金がかかるわけですよ、本来は。だからしばしば、左翼が自由を批判したりもしたわけです。それは金持ちだけに与えられた特権にすぎないではないかと。

ところがというかなんというか、最近では、何でも自由化すると安くなる、とか安くするために自由化する、とかそういうことになってませんかね。

この件でも結局は、上映を中止するのがいちばん安上がり(コストが低い)だということになるんでしょう。上映しようがしまいが映画館主の「自由」なわけですから。

なんか「アジア的自由主義」みたいなものがあるんじゃないかという気が、さいきん僕はしています。これは単に経済的な意味だけではなくてですね。
タグ:自由
posted by 甲虫1 at 2008年04月06日 21:12 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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