2007年10月21日

雑記

■さて、だいぶ時間がたってしまいましたが……。
こういう「戦争ごっこ」みたいなものは非常に疲れる。相手もいることだし不用意なことは書けない。
■でもいちおう感想を書いておくと、萬さんに言及してもらって気づいたのだけど、これはそういういわゆる「弱者利権」云々の話ではなく、流行りの言いかたでいえば、きわめて「ゼロ年代」的な問題だろうと思う。あれはやはり「文学」なのだ。
■ところで、Arisanのノートにおいて、小泉義之『兵士デカルト―戦いから祈りへ』について書かれている(http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071018/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071019/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071019/p2)。
これを読んで、なぜ「留保なき○○の肯定」という揶揄がデカルトと関係があるのか理解できたし、なぜfinalvent氏が日の丸・君が代の教育現場での義務化について、そういうものは首をすくめて通り過ぎるのを待てばよい、というようなことを言ったのかがわかった気がした。
もちろん、僕もArisan氏と同様、その立場に全面的には賛同できない。何度も言っているように、われわれ日本人は「制度の外」が存在することを簡単に認めすぎる(それがどんなに恐ろしいことかということを無視している)。
けれども、この「生の無条件の肯定」を批判し、みんながもっと「自重」すれば世の中はもっと良くなる、と言うべきではないと思う。というより、両者はおなじ一つの結果を、つまり「無責任(自由!)な政府」という厄介な代物を呼び出すことに貢献してしまうのではないだろうか。
■しかし、不用意にもこんなことを書き飛ばす僕自身にこそ、もっとも自重が必要なような気もする……。

(あとでリンクとか足します)
posted by 甲虫1 at 2007年10月21日 22:29 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年10月08日

ペンという剣

内藤朝雄氏のブログ閉鎖に至る、内藤氏と杉田俊介氏とのもめごとのdemian氏によるまとめ。
僕の認識もおおむねこんなかんじである。

でも一つ付け加えるとすれば、内藤・杉田両氏のあいだには、一種のカルチャーギャップがあるということもできると思う。

杉田氏の問題の連載のタイトルが「いきすべき批評」であることから明らかな通り、杉田氏はあくまで文芸批評――すなわち"文学"の意識で文章を書いているのだが、もう一方の内藤氏、および上山和樹氏(上記のdemian氏の記事では触れられていないが、上山氏も杉田氏に"批判予告"されているhttp://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070723/p1)は、"文学"にはからきし弱いのである。これは、両氏の資質の問題が大きいと思う。

文学作品とはメッセージであることを封じられた言葉である――というと聞こえはいいが、要するにそれは何を言ってもいっさい本気にされないということである――のであり、その条件を乗り越えようとあれこれ努力することが作品の完成度を高めることになる。杉田氏の言葉はその延長線上にあり、そのつもりで読めばけっこう良いものなのだろう。好意的批評(http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071007/1191683887)もある。この批評の冒頭で書き手(font-da氏)が「杉田俊介が、」と呼び捨てで書き始めているのが、これが"文学"というジャンルの意識で書かれたものであることを示していると思う。

ところが、内藤氏や上山氏はその逆の、すべてのことがメッセージとして機能してしまう世界に暮らしているのである(こっちの説明は、疲れたので略す。両氏のブログなどを読めばなんとなく感じ取れるだろう)。

しかし問題は、杉田氏がそのことをちゃんとわかっていながら一連の文章を書いているのではないか、と思えてしまうことだ。そうでないならハッピーなことだが、もしそうなら、たしかに「それ怖いです」というしかなかろう。

★関連
http://coleopteran.seesaa.net/article/55188748.html
posted by 甲虫1 at 2007年10月08日 19:17 | Comment(2) | TrackBack(1) | うわさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年10月02日

お返事とお詫び

■まずはお詫び。萬さんが直々にコメントしてくれていたのにきづかなかった。いれちがいになってしまって申しわけないです。
■次に、おとついの記事だけど、タイトルが(2002.9.30)になってる!
これからこっそり直します。2002も2007も同じ記事なのでよろしくおねがいします。
■で、本題。
わかる。なぜサヨクに死刑廃止の責任を負わせようとするのかってことなんだろう。スターリニストだってサヨクだろう、と。

萬の季節 - 2007-10-02■甲虫さんの違和感
ということなんだけど、逆、というか、対象がちがうんですね。スターリニストと戦ってきたことを誇りにしてるはずの人がどうして死刑に賛成しちゃうの? ということが僕には一番の問題なんで、ついそっちに話が行っちゃうわけです。彼らに「存在意義は無い」、でぶった切れればいいんですけど……。
■と、まあ、今日はこんなとこで……。
posted by 甲虫1 at 2007年10月02日 22:30 | Comment(3) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年10月01日

左翼の定義…?

昨日書いた文章がまた酷くて落ち込んでいる。
飛躍について語った文章が飛躍だらけではどうしょうもない。


と思ったら萬さんからお返事(萬の季節 - 2007-10-01■サヨクって
http://d.hatena.ne.jp/nomurayamansuke/20071001#1191198580)。

……。

ええと、左翼が人権を所与のものと考えている? 西部邁が言ったの?
そういう話はあまり聞いたことがないんですが……(無知と言われればそれまでですが)。

逆の例は知ってて、たとえばソ連の裁判なんかでは、人権はブルジョワ的価値観にすぎないとかいって、被告のほうに自分は無罪であると立証する責任あったとかなんとか聞いたことがあるような気がする(たぶん島田雅彦が言ってたと思うので、あまりしっかりした話ではないんですが)。

なんでこうなるのかといえば、やっぱり日本には「保守」がいないんですよ。与党の自民党が憲法改正したがってたりするんだから。ほんらい左翼は反体制なんだから、国家の保障する人権とか、そういうものには否定的であっておかしくないはずなんだけど、近代を超克したがっているチンピラが政権に近いとこにいたら、そんなこと言ってられない。

前にも言ったと思いますが、やっぱり日本人は、日本を「自分の物」とは思ってないということでしょう。これが変わりつつあるのか、それともそういう傾向がもっとひどくなってきているのか、どっちにも見えるんですが、いったいどっちなんでしょうか。

なんか、また後悔しそうなことを書いてしまったような……。
posted by 甲虫1 at 2007年10月01日 22:45 | Comment(0) | TrackBack(1) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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