2006年11月30日

1988年

すが秀実さんの『1968年』は読んだのですが、なぜ「多くの左翼があまりにもあっさりソ連崩壊を他人事として祝福できていた」かはわかりませんでした。

で、読み終わった直後は「すがさんってゴシップ系のことになると急に生き生きとしだすなあ……」なんて感想を持っただけでした。稲葉さんの感心した最終章は、すでに別のところで読んでましたし。

でも、ちょっと別の関心からブルーハーツについて考えていたところ、どうも「1968年」について考えるためには、その二十周年であるところの「1988年」から考えるとよいと思ったのです。

というかむしろ、68年を作ったのは88年だ、と言ったほうがいいかもしれません。それまで、多くの人にとって68年は「忘れたい過去」(最近じゃ「黒歴史」っていうんですか?)だったんじゃないでしょうか。

これは、新左翼や市民運動の背後の「ソ連の影」の理解についても有効だと思います。
この件に関してすがさんがいいたいのは、けっきょく68年の過激さというのはソ連の存在に支えられていたんじゃないか、ということでしょうが、68年が社会に「認知」され始めた88年というのは共産圏の崩壊の時期でもあったわけです。
それまで恐れられていた68年は、ソ連崩壊と共に、単なるなつかしい過去の黄金時代として回想されることが可能となった、と考えるとつじつまが合います。

このことはいずれもっとちゃんと書こうと思うのですが、ひとつだけ。
ブルーハーツというのは、ソ連が在った時代のバンドだった。そして、それはもう手の届かない過去のものなのですね……!
posted by 甲虫1 at 2006年11月30日 22:35 | Comment(4) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月29日

「イジメには報復せよ」?

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら-本・アートニュース:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/29130/
 学校では報復・復讐は道徳的な悪だと教える。しかし、それは嘘だ。人間が本来的に持っている復讐権を近代国家が独占したに過ぎない。大学で法制史を学べばすぐわかる。復讐は道徳的には正しいのだ。

いじめ自殺問題について、呉智英先生がいつものネタを披露。
しかし先生、「人間が本来的に持っている復讐権」ってなんですか? 「人権は制度に過ぎない」とか昔テレビで怒鳴ってた人がいたけど、あれはいったい誰だったかな?

あと、まじめな話。「唯一最良のイジメ対処法は報復」というのは微妙なところだろう。いじめられる側が、いじめる側を〔敵〕として明瞭に意識することは、確かに大切なことだ。内藤朝雄氏のブログの例の記事(2006-09-01および2006-09-06)について、僕が「全体の趣旨には強く同感する」と言ったのはそういう意味だ。

でも、こういう言いかたは、いじめは自力で解決すべきだ、親や教師・警察等に頼るのは卑怯だ、という考えかたにつながる。これはいじめ加害者がよく使う理屈だ。おとなたちのいう奇麗事や「良識」はくだらない、世の中はそれを超えた現実がある、自分たちはお前にそれを教えてやっているんだ、というわけだ。

結局、「復讐せよ」というのは、こういういじめの論理になかば妥協したものではないのか。内藤氏の本がすぐれているのは、こういういじめの論理そのものの解体をめざしたからだと思うのだ。
posted by 甲虫1 at 2006年11月29日 21:04 | Comment(1) | TrackBack(1) | 世の中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月26日

ライダーの戦隊化?

痛いニュース(ノ∀`):2007年の新仮面ライダー
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/861115.html

仮面ライダーシリーズの新作の第一報。
例年のごとくデザインがどうこう言われているが、むしろはっきりモチーフが決まっていることに注目すべきだろう。
これはライダーがスーパー戦隊のようにプログラムピクチャー化することの第一歩かもしれないのである。

いじめられる側も悪いのか?

元検弁護士のつぶやき: いじめられる側も悪いのか?
http://www.yabelab.net/blog/2006/11/25-103209.php
コメント欄。

http://d.hatena.ne.jp/REV/20061126#p1経由。
まえに書いた記事との関連でメモ。
posted by 甲虫1 at 2006年11月26日 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月23日

引っ越そうかな……

自分にむかついても仕方ないけど、前にサイトやってたときは

ものすごく多い日で30人、少ないと5人、年間で4000弱。

毎日、どうしたら人が来てくれるかを悩んでいた。

partygirlの日記 - はてなに舞い降りて1年・・・
http://d.hatena.ne.jp/partygirl/20061114

「ものすごく多い日で30人、少ないと5人、年間で4000弱。」ってなんかすごいリアリティーのある数字だ(ここはこの半分か1/3なんだけど……)。

そもそもなぜ僕がブログをSeesaaで始めたのかといえばここで評価が高かったからだけど、このまま続けるのがいいのかちょっと迷っている。

アクセス数そのものがどうとかいうより、実際には一日2−3人しか来てくれない(しかも読んでもらえているかどうかわからない)のに、原理としてはいつ誰に読まれるかわからない状態に記事を晒しておく、というのは、ちょっと微妙なストレスなのだ。

Seesaaっていうところは、コミュニティー的機能が無いに等しいのが、この微妙さに拍車をかけているような気もする。はてなダイアリーを選ばなかったのは、そういったコミュニティーに自分は耐えられそうにも無いと思ったからだけど、これはこれで苦しいとなれば、考え直したほうがいいのかもしれない。
posted by 甲虫1 at 2006年11月23日 21:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 運営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

Seesaaブログの仕様あるいは障害について

最近、サイドバーコンテンツの「最近のコメント」が書き込んでもTOPページ以外更新表示されなくなった。(前までは書き込んだ記事ページは更新されてた)
最近のコメントとか障害エラーとか-フリーイラスト素材MP3シーサーブログ
http://blog12345.seesaa.net/article/28057963.html


11月22日の記事。
僕も前に同じ事に気づいた(9月3日)んだけど、やっぱり前は違ってたのか。

あとカレンダーは、再構築しても最新の状態にならないことがある(しばらくするとちゃんとなっているような……)。

実害は大したことないと思うのだけれど、ちょっと気になってしまう。


posted by 甲虫1 at 2006年11月23日 19:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 運営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月20日

いじめ論ノート

前に「いじめを批判する本質的な理由は存在しない」という記事を書いた。
なんだかいじめを肯定しているようにも見えるタイトルだが、もちろん逆のつもりだった。「悪気はなかった」というたぐいのいじめる側の言いわけは通用しないと言いたかったのである。

いじめ自殺問題の語られかたで、僕にはひとつ気になることがある。
多くの人が、いじめを未然に防ぐとか、いじめをなくすにはどうしたらいいかとかについて語っているということだ。しかし本当に肝腎なのは、起こってしまったいじめをどう解決するか、そのためのシステムをどうやって作り上げていくか、ということではないかと思うのだ。

「いじめ」という問題を、いじめという出来事そのもの(「いじめ現象」)と、いじめによって被害者が受ける苦しみ(「いじめ被害」)に分けて考えてみるとよいのではないかと思う。「いじめ現象」を問題視するということは、いじめをありうべき秩序に対する侵犯とみなすことだといえる。「いじめ現象」のなかでは、いじめる者といじめられる者とは、共に現象をかたちづくる、いわば「共犯」だ。これをなくそうと思えば、弱い側であるいじめられる者を何とかしようとするのが自然だ。しかし、これはほとんどいじめの延長であり、その完成である。

なくさなければならないのはあくまで「いじめ被害」のほうだ。まずなによりも被害者を救出し、手当てをしなければならない。いじめの「予防」や「撲滅」、それにいじめの分析や原因追求は、あくまでそのための手段として考えられるべきだろう。

タグ:いじめ
posted by 甲虫1 at 2006年11月20日 22:19 | Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月17日

運動(部)的批評。

蓮實重彦には、よく言われるように、すごくすばらしいところととことんダメなところがあります。もちろん彼のばあいそれは、おおくのひとたちとはちがって、彼自身の人間性とか性格とかに由来したり帰着したりするものではないわけですが。

僕も『表層批評宣言』とかには大きな影響をうけました。しかし、前に自分で書いた記事によって、蓮實はすべてを否定するだとか何か仏教哲学のようだとか言われていたあの本が、じつは「お前はまだ本気を出していない!」という鬼コーチの罵声と等価なものでしかないのだと気づいてしまったのです。

ああ、笠井潔が毛嫌いするのもわかろうというものだ。
posted by 甲虫1 at 2006年11月17日 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2006年11月04日

左翼・新左翼・不気味なもの。


1968年
1968年
posted with amazlet on 06.11.04
〓 秀実
筑摩書房


すが秀実さんの出した新書。
なんとなく存在は知っていたのだが、稲葉振一郎さんがブログで紹介していて興味を持つ。
昔から気になっていたことのひとつに、多くの左翼があまりにもあっさりソ連崩壊を他人事として祝福できていた、ということがあった。[中略―引用者]本書は「反帝反スタ」であったはずの新左翼や市民派の根底にあったある不気味なものを、もっと具体的に抉り出している。
インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - すが秀美『1968年』(ちくま新書)http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061104/p2

なんか読みたいような読みたくないような……。

左翼といっても色々あって、その内部の対立のほうが、いわゆる右/左なんかよりずっと本質的だったりする。
というか、ある種の「左翼嫌い」って、もともと左翼の内部から生まれたものだからね。
すがさんは、左翼の「大同団結」に、前々から微妙に水を差して来たような気がする。うーんどうなんだろう……。稲葉さんがほめる本って、なんか怖いんですけど……。
posted by 甲虫1 at 2006年11月04日 19:50 | Comment(1) | TrackBack(1) | うわさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | このエントリーを含むはてなブックマーク |

松本零士対永井豪?

ぼうふら漂遊日記-問題はパクリ云々じゃない
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20061020#p1

松本零士が自作を盗用したと槇原敬之に抗議したらしいけど、その件に関する松本作品のテーマを語る記事。
「鋼鉄の信念」
これは松本零士のマンガに頻繁に出てくる言葉であり、その根本に一貫して流れるテーマそのものだ。
それはある人間のただの思い込みであり、勘違いであるかもしれない。
しかし松本零士は、これを他の何物にも、世の中のどんな大きなルールにも優先する。

僕は前から「松本零士対永井豪」という図式がありうるのではないかと考えている。これはあくまで思想上の問題で、実際の松本・永井両氏の人間関係とかマンガ=アニメ界での位置付けとかとは関係ない。

僕は松本作品は『銀河鉄道999』の旧版しか読んだことがないけれど、そのなかの「ひとに恵んでもらうくらいなら人のものを奪ってでも生きる」というセリフ(およびその背景にある思想)は強く印象に残っている。
ところが、というかなんというか、永井豪の『オモライくん』には、「乞食は絶対に人様の物に手を出してはならぬ」と主人公が先輩にたしなめられる場面があるのだ。(どちらのセリフもうろ覚えなので精確ではないけど)。
これは、たまたま『オモライくん』の主人公が乞食であるから、ということだけではなく、二人の作家の持つ思想の根本的な相違だろうと思う。

そしてこの問題は、「母」を巡る両者の態度の大きな違いと、おそらく深い関係がある。
松本作品における「母」の重要さはいうまでもないが、永井作品において、「母」の影の薄さが際立っていることは、もっと言及されてよい。(というか、永井豪論って「永井豪が好きな俺」を論じているものが多いような印象がある。もっともマンガ論一般にそういう傾向があるとは思うけど、 そういう語り方が有効な作家や作品も確実に存在するのだから一概に責められることでもない。ただ、永井豪っていう作家は、そんな作者=主人公=読者みたいな読解では収まらないタイプの作品を描いているということだ)。

で、おそらくこの二つの思想――っていうか倫理とか道徳とかのほうが近いと思うけど――のどちらを選ぶのか、ということが現実的な問題になりつつあるような気がするので、とりあえずメモ。


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